初音ミクは怪物だって、そんなの最初から分かってたじゃないか。(マジカルミライ感想、というか解釈みたいなもの)
なぜか、タイトルでえなりかずきが浮かんでくる。
というお話。いや、そうじゃないw
マジカルミライ2019、かなり遅くなってからのまとめです。
紆余曲折あっての、自分なりのまとめ。ケジメ?
ブレス・ユア・ブレス、今でもやっぱりあんま好きじゃ無い。
ちゃんとお祝いできるかな?じゃねぇんだよ。
祝う気満々で集まってるんだよ、こちとら。
もう君に 僕なんか必要ないってなんだよ。
米津玄師みたいに、プロの道行くってんなら、祝福するよ?
そういう話じゃ無いんだろ?
ミクのほうが勝手に離れていった、みたいな感傷に巻き込まないでくれ、というのが、当初の感想。
こじらせた分かりづらいツンデレなラブソングでもあるなとも思ってた。
けどさー、やっぱ男の感傷も、ツンデレも、みっともねぇんだわ。
敢えて言う。見苦しい。(と、ずっと思ってた)
でもって、マジカルミライ当日。
やっぱり、最後のこの曲で、いや正確には、アンコール1曲目の「ローリンガール」の影響も多々あるんだけど。
感情、かなり引きづられてしまった。
なんかさ、ステージ上で恐ろしく可愛くこの歌楽しんでるミクに、なんだか置いてけぼり食らった感じになってね。
あぁ、結局、この歌詞のまんま、同じ心境にされてるじゃんかと思ったら、やたら腹立ってきて。
帰ったら、「私の時間」と「イノセンス」聴いてやるぞ!となぜか心が両津勘吉(ボカロ好き)状態で帰路についたのを覚えてる。
数日間のつもりが、マジカルミライの感想を、書いては消し、消しては書き、気付いたら2週間経ってました。
突き抜けて、なんかミステリもどきのネタに走りかけ。
(新聞記者カイルと名探偵リネット&レナード。いつか蘇らせてあげたい)
もうこんなモヤモヤした、闇黒い感想は封印して、葬り去るべきかなどと思っているうちに、あっという間に時が過ぎてしまい。
でも、思い悩む、どう受け取るべきか、ぐるぐるしてるうちに気付いたこともやっぱりあって、だから書かなきゃと思った。
YoutubeにUpされた、マジカルミライの公式動画で、高らかにブレス・ユア・ブレス歌ってるミクさん観たら、ある意味どうでも良くなったというか。
良い意味で。
初音ミクはどこまでも初音ミクなんだよなーと。
実際、すげー楽しそうなんだよ、新しいいのちにハローハローハローしてる、ミクさん。
だから、それはそれで良いのだと思う。当日はなんか、それが寂しくて腹立ったけど。
それが、マジカルミライの初音ミクなのだと思う。
だって、あの子、「砂の惑星」で変なポーズで手首クイって、クイってしてた子よ。
今更ですわな。怪物です。はい。
ここまで、前置き。
というか、愚痴?
許せ。お付き合い感謝。読んでくれてありがとう。
今回のセトリ。モチーフの繰り返しと対比。
それによるイメージ、メッセージの変化、重層化がかなり多かったと思う。
「テオ」と「Hand in Hand」。手を取り合うイメージ、モチーフ。
「僕が夢を捨てて大人になるまで」と「ある計画は今も密かに」が対になってるの気付いてる?
夢という、キーワード。
「快晴」と「ラムネイドブルーの憧憬」。
繰り返す空のイメージは、前に進む勇気を後押ししてくれる。
「愛の詩」と「ぶれないアイで」。
ここでも繰り返し。愛。らぶ。世界を救うんだ。
愛は「Never Die」なんだよ。わかる?
「ヒバナ」は未完成を繰り返す。
「それがあなたの幸せとしても」はその未完成をそっと見守ってる。
「深海シティアンダーグラウンド」、「メインキャラクター」の鏡音2曲が対になってるし。
世界のどん底のような気持ちでも、それに立ち向かうことはできる。
繰り返しは変化し、新しい答えに導く。
だから、WOWAKAさん追悼の千秋楽選曲は、「ローリンガール」だったんだと思う。
言葉に意味を重ねながら、もう一回。
何度だって繰り返して、答えを求めるんだ。
もう、いいかい?
呼び掛けた先にあるのが、世界は目覚め始めた、なんだと思う。そこに繋がるんだと思う。
生まれてしまった新しいいのちを創るのは、次世代のボカロPだったり、ボカロファンだったりするわけで。
ならば、やっぱり、それは祝福しなきゃならないんだ。
と、やっとこさ、ここまで辿り着くことが出来ました。うん、2週間かかったよwww
QED。証明出来てる?ほんとに?
自分なりの納得はできた。
こんな難しくこねくり回さないで、単純に楽しかったーで良いんだろうけどねー、本当は。
でも、色々考えさせられて、悩まされて、それもまた楽しみ方のひとつって事で。
ありがとう、マジカルミライ。来年も行くぞ。SS席どうか。お願いします。