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書物の転形期:和本から洋装本へ

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このエッセイでは日本で洋装本が登場してから定着するまでの時期、すなわち十九世紀後半から二十世紀初頭までを対象として、書物の技術と当時の新聞広告や目録の記述などとを照らし合わせつつ…
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#辞書

書物の転形期13 洋式製本の移入10:一般書と民間製本

医学書の洋式製本 辞書は洋式製本を採用することで用途に応じた機能的利点があったが、明治初期のほとんどの一般書にはそのような動機がなかった。その中で比較的洋装本化が早かったのは、医学書と法律書である。  医学は旧幕時代から蘭学や洋学の中心だった。すでに述べたように、東京大学医学部の前身である大学東校は、1871年に須原屋伊八から解剖学用語の専門辞書『解体学語箋』を、「ボール表紙本」に近い簡易な平綴じ製本で刊行した。大学東校の御用を務めた須原屋伊八は、出版界の一大勢力であった須

書物の転形期12 洋式製本の移入9:辞書と民間製本

『附音挿図 英和字彙』 『東京製本組合五十年史』には次のような記述がある。 明治六年に、日就社から刊行された「附音挿図/英和辞彙」は、柴田昌吉と子安峻の共編に成る背革装の洋式四六四倍本で、俗に日就社辞典として知られていたものであるが、その当時はまだボール紙が日本に輸入されていなかつたので、表紙の芯には、張子紙(浅草紙を重ねて締めつけたもの)に、押圧をかけて使つたほどで、その革表紙は上海まで人を遣つて箔押しをさせたといつた大げさなものであつた。  それだけに、この製本を請

書物の転形期11 洋式製本の移入8:辞書と民間製本

英学機関の御用書肆と辞書の洋装化  幕府の開成所が英語辞書や単語集を刊行していたことはすでに述べた。『英和対訳袖珍辞書』や『英吉利単語篇』は幕末から明治初期にかけて需要があり、版を重ねるうちに開成所に出入りする民間書肆が印刷発行を請け負うようになった。そのような書肆の一つに蔵田屋清右衛門がある。蔵田屋は『英和対訳袖珍辞書』三版を1867年に木版和本で出版し、1869年には再刊した。そして、『英吉利単語篇』を1870年に初版同様の簡易な中綴じの洋式製本で出版した。  その蔵田

書物の転形期10 洋式製本の移入7:辞書と民間製本

上海で製作された辞書 辞書の製本は、高度なかがり製本の技術を駆使する反面、その用途に合わせた独特なものでもある。当時の製本技術の高みを見ることはできるかもしれないが、それが平均的な水準とは言いがたい面もある。  辞書は厚冊な上に、繰り返しページをめくられるという過酷な条件に耐える必要がある。本体用紙は厚手の固い紙を使うとめくりにくくなり、書物自体のかさや重さも増えるため、薄くて丈夫かつ柔軟でなくてはならない。本体用紙と表紙の連結部などの可動部分には十分な強度が必要なので、本