見出し画像

困難を乗り越えてきた人の強さ

いつもとは趣向が違う投稿ですが感じたままに書きます



スポーツ選手であれ音楽家であれ辛い生い立ちを乗り越えた人が一定数居る。

貧しい家庭に生まれ育ち
〇〇に出会いその分野一流の人となった。
よくあるサクセスストーリー。

これは本当にすごい事。

例えばX JAPANのYOSHIKI

病弱で重い小児喘息を患い、
小学校中学年になるまで
頻繁に入退院を繰り返す生活。
11歳で父親が自殺、hideの死
自分の周りで人が死ぬことに悲しみを抱える。勿論、夫を亡くした母の苦労があり
お互い支えあっただろう。

いつだか
NHKプロフェッショナル仕事の流儀で観たが
色々な困難を乗り越え今のポジションになった。

例えばラグビーの南アフリカ代表キャプテン シヤ・コリシ選手

RWC2019 日本対南アフリカ 試合後

以下RUGBY REPUBLICの記事の引用し要約ですが

 コリシは、今日の自分があるのはラグビーのおかげだと感謝する。
アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止になる1991年に、非白人居住区にある貧困家庭に生まれた。当時、母は16歳、父は18歳で、若い両親はわが子を育てられず、一緒に暮らした祖母が育ててくれた。
 愛情を注いでもらったが、いつも空腹だった。小学校の1年間の授業料50ランド(約350円)が払えないほど貧しかった。
「貧しい地区の子どもたちが夢見るのは、乗り合いタクシーの運転手になることくらい。やっちゃいけないことを考える者もいた。ましてや、スプリングボクスのキャプテンになるなんて夢にも思わなかった」

 幼少期、父と過ごすことはほとんどなかったが、シヤはひとつ、重要なものを受け継いだ。それは、ラグビー愛だ。父も祖父もラグビーが大好きで、コリシ少年は8歳のころから楕円球に夢中になった。

 ラグビーを教えコリシの才能を見抜いていた小学校時代の校長がブーツを買い与えてくれた。貧しくつらい少年時代だったが、周りの人々に助けてもらったと感謝する。12歳のころに出場した地元の大会で光り、名門、グレイハイスクールから奨学金のオファーをもらい、貧困地区をあとにした。

 人生が大きく変わった。

英語ができなかったが友達の支えがあり克服。コミュニケーション力をつけ、ラグビーの才能も着実に伸ばし、
20歳のときにストーマーズで
スーパーラグビーデビュー。
22歳の誕生日を迎える前日に
スプリングボクスで初キャップを獲得した。

スプリングボクスの主将に選ばれてから
しばらく、選手としてパフォーマンスを
落とした。
とてつもない責任を背負い、プレッシャーがあったことを認める。

 尊敬する偉大な故マンデラは、スポーツには「世界を変える力」、「刺激する力」、「人々を結びつける力」があると言った。
 貧困から、誇り高き南アラグビーの大将になったコリシは、「私は黒人の子どもたちだけでなく、あらゆる人種の人々を鼓舞したい。恩返しがしたい。すべての南ア人のためにプレーする。我々は想像以上に大きなものを代表している」と自覚する。

 コリシは2009年に母が亡くなったあと、孤児院や里親のもとで育ててもらっていた異父きょうだいの弟と妹を探し、法的手続きを経て養子にし、家族として一緒に暮らしている。
 コリシは自分の家族を持ちたいと常に思っていたという。それは、貧しく父親がいなかった子ども時代に根付いた最初の願望だ。
「私は彼らのヒーローになりたい」
 ワールドカップでコリシがウェブ・エリス・カップを掲げることがあれば、南アフリカだけでなく世界中の人々の胸を熱くするヒーローになるだろう。

しかもRWC2019JAPANで
実際にコリシがウェブ・エリス・カップを掲げた!

例えばラグビー日本代表 姫野和樹選手

2022年5月に放送された情熱大陸(録画も勿論したが)で、
貧しかった生い立ちを初めて知り、
その後の本人の著書でも詳しく知った。

名古屋市の下町で生まれ
同級生も裕福な家庭は少なかったが
ダントツで貧しかった。

父と母(フィリピン人)、姉と妹
6畳2間に5人暮らし。
小学校の給食費が払えず毎月先生から催促されていた。

ある日、米を炊こうと炊飯器をセットしたが
炊けず、炊飯器が壊れていた。
米も無駄になり
帰ってきた母が、
フィリピンへ帰ると怒り
出ていこうとしたのを兄弟で必死で止めた。

門限もなく
家に帰りたくなく、
夜遅くまで公園に居て
友達も付き合ってくれたが限界があり
一人で夜空や月を眺めていた。

公園でいっぱい遊んでいたので
運動神経も良く
野球やサッカークラブの体験のみ参加し
お金がなく入れない。

両親は給料日になると、
そろってパチンコへ行き
机に置いてあった1,000円札で
コンビニのおにぎりと唐揚げ棒を
買っていた。

中学校でラグビーに出会い
運動神経もよく体格も生かせ
夢中で練習し上達。

部活がやりたくて放課後が待ち遠しかった。
県選抜に選ばれるも遠征費が払えなく
ワザとセレクションを落ちた。
友達にもお金がないと恥ずかしくて
言えなかった。

ラグビーで這い上がることを決意し
プロになって
地元のトヨタへ入る思いも強かった。

そしてラグビー名門の春日丘高校
帝京大学
トヨタヴェルブリッツ
日本代表へと階段を上った
そしてRWC2023でキャプテン

姫野選手自身は、
両親のことを恨んではなく
育てて貰ったことに感謝をしている。
スケールの大きな男。

例えばラグビー日本代表 松田力也選手


ラグビーの社会人選手だった父の影響で
6歳からラグビーを始め
11歳で父が急死(くも膜下出血)
ラグビーの試合に付き合わせたり
無理をさせたのではと自責の念に駆られる。
母や父のラグビー仲間の支えがあり
伏見工業から帝京大学(姫野と同期)
パナソニックワイルドナイツ
日本代表となった。

他にも元オールブラックスの
ソニー・ビル・ウィリアムズ


貧しい生まれで家族のために
15歳でオーストラリアでプロデビューし
家計を支えた。
オールブラックスでも大活躍し
ラグビーの練習のつもりでボクシングを始め
ヘビー級チャンピオン
二足のわらじを履いた。
ラグビーは引退したがボクシングは続けている。

例えばアイランダー

アイランダーと呼ばれる
サモアやトンガ、フィジーの
ラグビー選手達。

国や人々も貧しく。
貧困から抜け出すために、
子供たちはプロのラグビー選手を目標に
努力する。
そしてニュージーランドやオーストラリア
日本で成功をおさめるために、
若くして国を離れる。
這い上がるための手段がラグビー。
そして仕送りをし家族を支える。

もしシヤ・コリシや姫野の生い立ちだったら

同じ立場なら自分は途中で挫けて
何でも貧困のせいにしているだろう。

夢中になれるものや楽しさはやはり重要。
中学生まではその競技の楽しさを感じた方がいい。勝ちに拘るのも大切だけど。
何より
これで這い上がってやるという強い気持ちで
国の代表に登り詰め活躍する。
体格などの要素もあるが努力し続けた。

姫野選手が帝京大学時代に
当時の岩出監督から一流の定義を教えられた。
それは
「何度失敗しても立ち上がれること」

同様の言葉でどこかで聞いた言葉だが、
何度失敗しても成功するまでやり続ければ成功。失敗したところで終われば失敗。

シヤ・コリシや姫野和樹の生い立ちを
意識すると応援したくなる。
何度も立ち上がってきた人達であり
彼らは観ていて芯や情熱が強い。
チームメイトからも慕われている。

YOSHIKIや松田力也のように
小学生で大切な人が急に亡くなり
絶望のなかから
周りの支えとともに這い上がった人も
強い。

何事もなく育ってきた
自分は恵まれている。
日々に感謝しないといけない。

いいなと思ったら応援しよう!