回想 第五章 193
第193回
少年は幾度となく両親に自分の不幸を訴えてきたが、その答えが決まって『お前よりも不幸な人間は世の中にゴマンといる。お前は自分の幸せに気づいていないだけだ』というものだった。しかし少年はどうしても自分以上の不幸が想像する事もできず、釈然としないまま暮らしてきたという。『自分の不幸はこれからも続くのか?そしてどうすれば自分は幸福に暮らせるようになるのか?』と少年はラジオを通して切実に訴えていた。
「坊主さん、」白髪の男が大声を出して呼びかけた。「坊主さんからもこの婆さんに言ってやってくれないか?この人の不幸はしょせん小さな子供とおんなじだって。」
「誰だって、神を信じないものが不幸なんだ。」うそつきが突然話に加わってきた。
「なんだって?」白髪の男が答えた。「突然そんな事言って、あんた気でもちがったのか?ハ、ハ。おかしなやつだ。そんなことを真剣に言うあんたこそ本当の不幸だよ!」
相談員は少年の質問に答えて言った。曰く、少年が言うように、不幸はもともと他人と比べられるものではない。少年の両親が、少年よりも不幸な人間がたくさんいる、と言っても誰もが納得する明確な比較の基準はない。だが同時に、戦争で両親を殺され泣いている子供と、事故で骨を折って泣いている子供は明らかにその不幸に差があると言えよう。しかしだからと言って骨を折って泣いている子供を、戦争で両親を殺されたもっと不幸な子供がいる、といってあやすのはどだい無理がある。不幸は比べるものではもともとない。他人の不幸を見てなぐさめを受けるのは、道徳的に間違っている。反対に自分よりも幸せなものを見て、自分の不幸を実感するのも同じくらい間違っている。何が間違っているのかうまく説明はできないが、他人の不幸や幸福をみて自分の不幸を実感するのは心の醜い人間のすることである。
「どうして私の不幸がこんな子供の不幸と一緒なんだい?」瓜実顔の老婆が白髪の男に食いついた。「私がどんな苦労を乗り越えてきたか知らないくせに。」
「あんたにも苦労なんてものがあるのか?」
「これを見てみな!」瓜実顔の老婆は上着をまくりあげて自分のヘソの辺りを指差した。「この傷が見えるかい?ここさ、ほら、ここのところ…。」
「それがどうした?」
「この傷はね、むかしあたしが若いころ、ある男と心中しようとした時にできたものなのさ。彼はけっこう大きな商人の一人息子でね、若気のいたりで商売のためにって預かった金をあたしのために全部つぎ込んじまって、勘当になったんだ。羽振りがよかったときはみんな彼におべんちゃら使ってたのに、勘当されたとわかると手のひらを返したようにみんな冷たくなって、誰も彼を助けてくれなかったんだ。それであたしたち二人とももうどこにも行くところがなくなって、ある夜二人で逃げ出して人知れず心中しようってことにしたのさ…。」
「どっかで聞いた事のあるような話だな。」