見出し画像

回想 第五章 205

第205回
 「あんなところであいつ何をしてるんだ?」驚いた坊主がすぐ隣にいた老人に尋ねた。
 「飛び降りるんだって!」白いひげを伸ばした、杖を突いた老人が興奮気味に言った。
 「なんだって?」坊主が問い返した。
 「飛び降りるんだって!」杖をついた老人が繰り返した。
 「どうして?」
 「なんでもあそこから飛び降りて、奇跡を起こそうとしてるらしいよ。」近くにいた瓜実顔の老婆が説明してくれた。
 「でもあんなところから落ちたら、骨の一本や二本じゃすまないぞ。」坊主がまた木にまたがるうそつきを見上げながら言った。
うそつきは太い枝の根元に座り、両手で幹にしがみつくような格好で、木の下に集まってきている住人を見下ろしていた。そして眉間にしわを寄せながら、「ほんとうだ、ほんとうに飛び降りる事ができるんだから」と下に向かって訴えていた。
 「やりたけりゃ、やればいいんだよ。」瓜実顔の老婆が挑戦的に言った。「どうせ無理に決まってるんだから。」
 「でもどうやってあんなとこまで登ったんだ?」坊主が尋ねた。
 「うそつきと口論してたやつら数人が、手伝って持ち上げてやったそうだよ。」瓜実顔の老婆が説明した。
 その話によると、うそつきはラジオ番組が終わると同時に、ついこの間まで詩人が神の教えを広めていたこの木の下までやってきて、演説を始めたらしい。始めは気のない住人が数人ひまつぶしに聞いていただけだったそうだが、次第にその内容に熱がこもってきて、うそつきと聴衆の間で激論が戦わされるようになった。この聴衆の中に娯楽室にいた白髪の男も混ざっていたのだが、うそつきがラジオ番組の流れから『祈りをしないものには救いの手は差し伸べられない』と言い張ったところから、口論となっていったらしい。祈りの大切さを否定する白髪の男が、うそつきによって祈りをしない人間の死後の生活がどれほど苦しみと汚辱にまみれているか、ということを宣告されると、白髪の男は挑発的に、『もしそんなに祈りが大切なら、ためしに祈りながらこの木の上から飛び降りてみろ』とつめよったのだった。このなかば強引な論法にほかの聴衆も触発され、『たしかに祈りが守ってくれるのなら、けがひとつなくあそこから飛び降りられるはずだ』とうそつきを追い込んだのだった。うそつきは予想もしなかった聴衆のこの要求にまごつき戸惑っていたのだが、聴衆の挑発的な呼びかけに最終的に応じてしまった。話が決まると、さっそくそこにいた住人数人によって担ぎ上げられ、枝の上まで登らされてしまった。そして枝の上にまたがったうそつきは意を決したのか、緊張した顔をこわばらせながら、今は増えてきたやじ馬の住人たちに向かって熱心に話しかけていたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?