回想 第四章 170
第170回
詩人は細い体を起こして立ち上がり、天井からぶら下がる輪を両手でつかんで頭を通した。
「考えすぎですよ。」影が言った。「神はおそらくいます。わたしもよくは知りませんけどね。おそらくはいるんです。でも考えすぎるとつじつまが合わなくなってくるんです。だから結局あなたは今いる神の存在に耐えられなかったんでしょうね。」
頭を通した輪が自然としぼられていく。しぼられていくにしたがって、詩人は「ウエ」と低い嗚咽をもらした。
「神はすべてを超越するんだと思いますね。超越したところにいるんです。人間の幸福とか不幸とかで推し量ることのできないところにいるんです。」
先ほどまで寝台に届いていた細長い詩人の体は、知らぬ間に宙に浮いていた。縄で詰まったのどに空気を入れようと両足で宙を蹴ると、ぶらりぶらりと体が揺れた。揺れるつど、朝が近づいて太陽の光で闇が溶けていくような薄暗い窓の外の空が、ちらりちらりと見えた。水中に没したかのように、少しでも空気をかき入れようと青虫のように体をくねらせた。体が左右に振れるたびに、窓の外の空と影が交互に見えた。体がむなしく揺れつづける。風に吹かれた、木にぶら下がる幼虫のように揺れつづける。
「考えすぎてしまうんです。」影が言った。「弱い人間ほど、進むにしろ留まるにしろ必要以上に考えすぎてしまうんです。考えれば考えるほど普通ならなんでもない小さな障害物が、行く手を阻む巨大な岩となってあなたをなやませるんです…。」
切れかけた電球のように意識が明滅する。はっきりとしない意識の中に、影が話しかけてくる。
「結局あなたも弱い人間だったんです。」
「じゃあ、あなたの言う強い人間の中にも信仰を持った人はいたのですか?」
「はい、ひとりだけ。」
そして詩人は観念した。それは敗北感からか、幻滅を感じたからか、感激したからか詩人にはわからなかった。
しばらくしてやがて影はいなくなり、遠くの山の後ろにある空が白くなりだしてもまだ縄にぶら下がった体は、両足を宙で躍らせながら揺れていた。そして揺れるたびに体はどうしようもないむなしさを感じていた。