回想 第四章 161
第161回
挑発的な影の言葉にも、詩人は無言をつらぬいた。そして影はさらに鷹揚に言葉をつづけた。
「反対に家畜の世界での美しさはどこにあります?せいぜいが痴呆的にまで間延びした精神の、おめでたい牧歌的なところくらいじゃないですか。試しに子供に夢を語らせてみるといいです(子供は正直だから、あますところなくその世界を代弁してくれるでしょう)。おそらくその子供は『死ぬまで不自由なく柵の中で皆と仲良く平和に暮らしたい』と人生を隅まで知りぬいたようなしたり顔で答えるでしょうね!ねえ詩人さん。こんな子供が本当に幸せと言えますか?まわりの顔色をうかがいながら、得意満面に答えるこんな子供が幸せなんでしょうか?無邪気な顔をして『皆を従えるような英雄になりたい!』と叫ばない子供は本当に幸せなんですかね?」
「あなたは戦争によって言われもなく苦しめられる人のことを忘れていませんか?一部の人間のわがままのために、骨の髄まで苦しめられる人のことを忘れてはいけません。あなたは暴徒化した兵隊を見たことがないのですか?規律を守れない兵隊が何をするか知っているでしょう?」詩人は思わずつぶやくように反論した。
「もちろん醜い兵隊や権力者がいることは認めますよ(どこにだってバカやマヌケはいるもんです)。でもその犠牲の上にある覚悟だからこそ、ひとりひとりの兵隊は気高くなるんじゃないですか。」
「それは言葉をもてあそんでいるだけです!」詩人は悲しげにつぶやいた。
「わたしはなにも世間の常識と反対のことを言って、あなたの鼻をあかそうなんてことを考えているわけじゃないですよ。わたしは退屈しのぎにあなたとこんな話をしにきたんじゃないんです。決してこれは屁理屈なんかじゃないんです。わたしは本当に戦争にでて行こうとする人間のあの引き締まったあの表情に人間の真の気高さを感じるのです。もし神がいるのだとしたら、あの緊張感を味わせるためにこそ神は人間を創ったのでしょう!ことわっておきますが、わたしはべつに戦争だけにこだわっているわけではないですよ。これはひとつの例として出しただけであって、例えば頂上の見えない山に挑む登山家や、最果ての海まで船で乗り出していく航海士も同じことが言えるんです。そして家畜のように平和を乱されるのをおびえながら寄り添って生きていこうとする人間にむしょうの腹立ちを感じるのです!ここには何の危険もなく、またいかなる精神の昂揚もなくただ流れるように生きていくしかないんですから。人間の怠惰はいったいどこから始まるかご存知ですか?断言しますが、これは長い平和からです!平和のようなぬるま湯は、怠惰という菌を育てる温床になるんです。あなたも一度くらいはこんな考えを一瞬でも頭に浮かべたことがあるはずです。」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?