回想 第三章 108
第108回
「そこにいる亡者のことが気にかかるのか?」
うしろでしわがれた声が聞こえたので、振り返ると水際に背の低いあたまのはげた老人が立っていた。老人はやせた体に汚れた布切れをまとい、太い杖をついていた。すぐに王にはその老人が誰なのか検討がついた。そして王はその鋭い好奇に満ちた視線でもって老人に応えた。
「つれて行ってやろうか?」
この問いに王はちゅうちょせずすかさずうなずいた。それを見ると老人は頭がい骨に薄い皮を張っただけの顔にしわをつくった。怒っているのか笑っているのかは検討がつかなかった。
「そこに行けば、いろんな人間に会うことができるぞ。大昔の人間にも会えるし、追っ手をのがれてこの森に逃げ込んだ大悪人もいる。心中した恋人もいるし、かつてこのあたり一帯を治めていたやつもいる。だがみんな夜になって水中から出てくると、はずれない足を引っぱったりひねったりして一晩じゅううらめしそうな声をあげておる。そんなところに行くのは怖くないか?」
「こわくない。」王は毅然と答えたつもりだったが、不覚ながら声は震えていた。
老人は再び顔の半分にしわを寄せて、今度ははっきりと小バカにしたように、にやりと笑った。
「おまえはいずれ王になるんだろ?そうすると、いちどこういうのを見ておくのも悪くはないかもしれんな…。」
その夜の出来事は、今思い出してみても夢のようなことばかりだった。その夜老人につれられて湖のほとりまで来た王は、生涯忘れることのできない光景を見た。暗い森を抜けたその場所は、水に濡れた何百もの黒くうずくまる人間が月明かりで照らしだされていた。そこは彼らの髪や服からしたたりおちるたくさんの細かなしずくが、月明かりに星のように反射していた。水は遠くのほうまで干上がっていた。そしてあたりはこの何百もの人間が泥のなかで動く粘っこい音と、彼らの怨嗟の声で満ちあふれていた。
「いちばん手前のやつがごく最近迷い込んだやつで、遠くに行くほど時間は古くなる。」老人は驚きのあまり声の出ない王に話しかけた。
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