見出し画像

回想 第三章 105

第105回
 そして最後にはこの拷問に体中をふるわせて怒りだし、ふりしぼるように叫び声をあげ、分けがわからなくなって吸い寄せられるように樽にとびついたかと思うと、頭から顔をつっこんで残りの水を一気にすべて飲み干してしまった。ぐったりと体を横たえ、両手で顔をおおって、体中に水がしみ込んでいくのを感じた…。そして一時の満足を感じた後、穴の底に落ちていくようなさいげんもない恐怖に王は襲われた。水はすべてなくなったうえにこの先水を補給できる見込みもない。どうしようもなくさみしくて悲しかった。地上にいれば、どんなにいやしい身分の人間でも特に熟慮しなくても浪費できる水が、赤子のように幼い子でも制限なしに使えるその水が、その国でもっとも地位の高かったこの王に、ひとすくいの水にも絶望を感じさせているのだ。これが屈辱でなくてなんであろう?どこをどう間違ってこの場所にたどり着いたのだろう?王は変わり果てた自分の境遇のみっともなさに涙を流した。そしてたった今飲み干した水はすべて王の熱い両目からあふれだした…。
 その日いちにちうだるような暑さのなか身動き一つせずに寝床に横たわっていた。暑さで貴重な汗が流れ出たが、放心状態にあった王は気にもとめなかった。翌朝、かさかさにかわいた唇を両手でぬぐい、粘つくつばを念入りに飲み込んだ後たらいに小便を流し込み、さそわれるようにたらいに口をつけ苦い自分の小便を飲み込んだ。そしてまたぐったりと寝床に横たわり、いろんな水のことを考えた。目を閉じて、まわりで波の砕ける音を冷たい山のせせらぎだと自分に言い聞かせた。その日も空が真っ青の暑い日だった。海上には風が吹いていたが、なまあたたかい風は少しも部屋を涼しくしてくれない。ゆらゆらと揺れる部屋にももう慣れてしまった。からだの水分といっしょに怒りも蒸発してしまったみたいで、ただもうなにもかもがおっくうだった。口の中が渇き、舌がスポンジのように膨れあがってがまんできなくなると、たらいに残しておいた自分の小便で口中を湿す、という繰り返しがつづいた。翌日も同じような日が続いた。ときおりかもめが能天気な声を出して部屋のまわりを飛んだり、部屋の天井におりてきて羽を休めたりした。日を追うごとにたらいの小便は濃くなっていき、どれだけ口が渇いてももう湿すこともできなくなってきた。そうなると王はもう寝床から起き上がることもなくなり、眠る以外はずっと水を連想しつづけた。とりわけ王を元気づけたのは、自分が魚になって川や海を泳いでいる自分の姿を想像することだった。あるときは大きな丸い石が敷きつめられた流れのはやいつめたい川の浅瀬であったり、また別のときは太陽の光も届かないような深海の底であったりした。川の場合は、陽光が川面をきらきらと反射し、水と空気が混ざり合う音を楽しみながら冷たい水を泳ぐのが心地良かったし、海底の場合は、誰とも触れあうことなく完璧にちかい孤独な状態で暗闇を徘徊するのが、子供のころのいたずらのように刺激的だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?