ラダック⑤ -レーで食中毒編-
2011/09/16
露天でマトンを見つけてから、はまってしまって、何度も食した。
しかし、固形肉は小さくて食べ応えが少なく飽きてきたこともあり、ケバブと呼ばれるミンチを棒にくっつけて焼いたものに挑戦してみた。
ちょっと、固形のものより若干高いのです。
味は、まぁまぁで、そこまでの感動はなかったけれど、『栄養は採れたかな~』なんて思って帰ったところ、深夜の2時頃急に腹痛と吐き気で起きてしまう。
これは、、、過去にたくさん経験してきた...食中毒...。
間違いない。
その中でも、食べたものと言えば...怪しいものと言えば...マトン。
南米の時は、チリの貝に3回も当たり、散々だったので今回は注意しなきゃと思っていたのに。
もともと、食べることに関して、欲が強すぎるというか、怖いもの知らずというか、どんな国の市場でも物怖じすることなく、なんでも食べてしまう、わたし。
しかも吐けない体質で。朝までトイレと部屋を何度も往復しては、吐けないもので、とにかく吐き気との戦いが永遠に続く。体調が悪い時は、気持ちも落ちて行くもの。
『これから先、こんな感じで旅をしていけるのかな?』と天井を見ながら不安になったものだった。
だいたい、ノーマルな食中毒だと1日で収束を迎えるものだけれど、2日目も具合が悪く、吐き気も収まらない。
わたしのトイレの往復を繰り返す様を見ている宿のお母さんも、不安になって見に来てくれる。
お母さん曰く『高山病も再度併発してるかもしれない...』と病院に行くことを薦められる。
『高いから...』というと、そこは国立の病院でみんなフリーだそう。
丸2日何も食べていないし、ヘロヘロな状態でタクシー乗り場までなんとかたどり着いた。
タクシーのおじちゃんに、病院の名前を言っていくらかを聞いてみる。
お母さんから聞いていた値段より高かったので、この具合の悪さでも値切り交渉に出る。
『見て分かるように、わたしは病気だ...下げて!』と言うと、人情に厚いラダッキは下げてくれた。
タクシーの中でも、具合悪いっていうのに、どこが悪いんだ?とか、何を食べたんだ?とか、質問攻めにあう。タクシーの揺れさえも、厳しかったのをよく覚えている。
病院に着いて、どこが受付なんだかさっぱり分からんし、誰にどう聞いていいのかも分からない。
アタフタしているわたしを見て、ひとりのお兄さんらしき人が、受付と思われるところに連れて行ってくれた。名前と年齢と症状を簡単に説明して、次のお部屋へ。
診察室の前には、山ほどの地元のひとたちが待っているような..気がしたんだけど、なぜか、いきなり医者のいる診察室に入れてもらった。ところが、肝心の医者は3グループぐらい待っている具合の悪い私たちに目を向けようともせず、医者同士パソコンを見ながら、何やらもそもそ話し込んでいる。
『何なの? 具合悪いんだけどさ!!早く見てよ~』って言いたい所だったんだけど、他の人たちもじっとおとなしく待っているもので、言えなかった。
結局10分ぐらい待たされた後、診察が始まる。血圧を計って、何を食べたかとどういう症状かを聞いただけで、触診とかもなく、あっさり5分ぐらいで終了。高山病ではなく食中毒だという診察結果だった。
どうやら、吐き止めと下痢止めとポカリの粉みたいなの(でも激マズ!!)が処方されて、病院を出て普通の薬局で処方箋を出して自分で買う。
帰りも、病気という強い武器を使って、オートリキシャを根切り、宿に戻った。
この、吐き止めは効果抜群で、下痢も同様に止まった。
のちのち、フランシスにこの薬を見せたらば、これはいい薬ではないよ!と言われてしまったけど、
たしかにすごい色だし、でかいし、とりあえず無理矢理その症状を止めるんであろうことは、何となく分かる。でも、やっぱり止めてもらわないと仕方ないし...。
僕の薬はいいんだよ~とドイツ製の薬を見せるも、決して分けてくれるわけでもなし...。
それなら見せないで~~( ̄▽+ ̄*)
ミンチって、ばい菌が入りやすいから、よく火を通したかを確認しましょう。
インドに行く予定があれば、ポカリの粉は必需品です。インドのそれらしきものはマズくて飲めない!
わたしは、ずっとポカリの粉を水に溶かして飲んでいました。このおかげで脱水症状にもならずに済んだし。
それ以来、マトンが食べれなくなる。
豚はみんな汚いとか言って食べないし、牛は神様だし、イスラムエリアでも高くてあまり手に入らず...肉で食べられるものは、鶏だけ...チキンも何気に高いからな。。。難しいインドの動物性タンパク源。
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