僕の、人生の解を今此処に。愛は存在に在る。
魚を眺めながら、植物のある部屋で、音楽と共に、煙草と酒飲んで、独りで、時間を愛おしいと思いながら、死んでいくのも、いいなと思う。
僕が手塩にかけて、
愛情を注いできた尊い生き物達だ。
言うならば、星の王子さまの小説の真っ赤な薔薇だ。
心が、静かで穏やかになる。
それだけがあればいい。
僕が死んで、大切にした何もかもが、呆気なく、
次の一瞬の内に跡形も無く、
この世から消えていったとしても、
僕は、満足しながら、死ねる。
今日を生きたことを、充足感の内に、
心置きなく、さようならと言える。
それが生きることなんだと思う。
生→死であれ、
生の中に、含まれた死であれ、
生の中には、死はなかったであれ。
どうでもいいことだ。
生きる事が大事なのだ。
ただ、生きるのではなく、
何が、対象であれ、
その自分の経験を、体験する現実を、
自分が愛おしく感じるのであれば、
人は、何も思い残すことはない。
ただ、自分らしく生きた!
という充足感が、
心の穏やかさの内に、愛が原因で作用する幸せが湧いてくる。
いつかは、尽き果てる我が身の人生であれ、
ずっと、流れ落ちてしまう、その貴重な時間であれ、
愛するモノがあるならば、人は、選んで心置きなく幸せに暮らせる。
三十年間は、どう生きていこうか?
本当に、今日1日分の人生の旅には、
意味があったのか?と自問自答しては、失墜するのが、
僕の真っ黒な夜への入口だった。
だけど、僕は、もう独りぼっちだとしても、一人ぼっちではないのだ。
そう気づいた。
今、どうやって、生き残っていくか?ばかりを考えて、実践して、生きてきた。
僕は、何者か?
何が、本当の事で、真実とは、真理とは何か?を、
ずっと、探している内に、
悲しみや怒りや憎しみを持って、嘆いていた。
何が正解か?と、天に唾を吐いた。
自分を、本当に、愛情を持って、可愛そうだなと思えたなら、僕は、感情を発散させながら、泣きながら、良い方へ変わっていった。
時に、人を頼り、裏切り、甘えて、心から愛しては、悲しみ、軽んじては、羨ましがり、怖がり、
いないのに気にしては、優越感に浸っては、落ち込み生きてきた。
そんな生き方でさえ、我が身を愛することだったと気づいた。
そして、今の僕は、人は、悪いものだと、今は、到底思えない。
人は、自分ではコントロール不可の、
やっぱり、よくわからない生き物なんだと、つくづく思うばかりだ。
生命への愛おしさ。
アクアリウムや園芸が、
魚と植物たちが、
僕の人間であることを、繋いでくれたし、暮らしていくことは、誰かに助けられてることだ。
ならば、
自分も人として、できる仕事は、
何かを与える事は、できる分だけでも、お返しや先に与える事は、やらねばならない。
社会に助けられて生きるのならば、同じ一員として、役割を果たさないとなと、思うばかりだ。
富があるのではなく、富は、与えるから、分け合える。
それが富の正体だ。
ダース・ベイダーの如く、生きるのは辞めにして、単なる村人として、我が身を生きる事は、幸福な事だ。
それが、どんなに凡庸で、特に、なんの変哲もなく、水槽を眺める生活を送るのでさえ、僕は対価を払う。
時間を浪費するとは、無駄にするとは、
この日常生活を、何も感じない事だよ。
愛することを、愛が湧き起こるのを、止めるな!
そして、怖がる事はない。
どんな無理解も、悲しみでさえ、理不尽も、
飛び越えていけ!!!!!!
僕は、声を大にして言いたい。
愛されるなんて、言葉はあっても、現象はない。
そんな自分を愛してるのだ。
愛するんだよ❗❗❗
何があったったとしても、
何が無かったとしても。
何が有益かは、己の胸の内が決めることならば、
自身に宿る愛するを、死ぬ迄、止めるな。
止めることは、本当は誰もができるわけがない。
そんな自分を愛するだけが、有るのだから。
愛おしさが胸の内に湧く内は、
僕は、この人生を幸せだと、
何度尽きても、果てても、
また、昇る太陽のように、
落ちても、代る代る昇る月のように、
愛おしいと想い続ける。
それが、生きる事の僕なりの解答。
愛することが、生きる事だよ。
なあ?神様とやら???
僕は、そうやって明日からも、
生きていこうと思うよ。
とても素敵な生き方だと自負と誇りと愛と勇気を持ってるよ。
人の可能性を信じているよ。
だ・か・ら、
死んだら、顔を拝みに行ってやる。
それまでは、今までと同様に、
黙ってみてろ。
俺の人生だ。
俺は、好きに生きるよ。
皆と同じ尊い生命として、
不完全でいて、PERFECTな僕として。
この心と共に。
でもさ?
神様。
お前は、俺の中の愛なんだろ。
人の中に宿る愛なんだろ?
それを信じない人はいない。
僕は、それに気づけたんだ。
ーー終わりーー
生き延びるために、 自分の生きる力にするために、 遣わせていただきます。