僕なりの真実と愛の爆弾を落とす。ーー自分と生とはーー

完璧な人がいない。

結論から言えば、
結局は、自分も人も、
どんな偉人もクズな所はあるし、
どんなクズでも、素晴らしい所はあるのではないか?

要するに、そーゆータイプの人間がいるだけ。
だと思う。

そーゆータイプの人間が、
我欲や煩悩だけで生きたら、
碌でもない人生にはなるけれど、
愛だけで生きられるなら、力は必要がないと思う。
(だから、欲望は必要だからあるんだろ。)

此処は天国じゃないんだ。
かと言って、地獄でもない。
此処は、現実世界なんだ。

だけど、
この現実世界は、
全ては、Cameraがレンズを通して、
嘘をついて、網膜や脳裏や心に写ってるだけの虚構の世界だ。

敢えて言おう❗
仏の道さえも、幻であると❗❗❗

全ては、ま・ぼ・ろ・しぃーーーー🎵
であると❗❗❗❗❗

それでも、我欲は、自分だけしか、ベクトルが、視線が向いてないだけなのに対して、愛は、世界や人を、外側を向いてるんだ。

だとしても、完璧な人がいないなら、其々のタイプの人しかいないなら、(適材適所で使えばいい。)


結局は、人の生の道は、
ぶっちゃけて言えば、
いつもいつも、未熟者の自分が生きる。
中途半端な成長途中の片道切符の道のりなんだと思う。

ボブ・マーリーは、言った!
「自分を愛し、愛する人生を生きろ❗」

僕は、カッコつけ過ぎたんじゃないか?
と、この人の黒歴史になるんじゃないか?
と、この名言を心配する。

僕は、この言葉が大好きだけど、
僕が言うなら、こうなる………。

いつまでも、幼稚で我儘で自己中である未熟者の自分だと知りつつも、
完璧な人がいないなら、足るを知って、
その中途半端な自分を愛して、
そんな格好いいばかりでも、
素晴らしい事や良い事だけでもない、
この世界と人と自分と、その生を、あはは〜〜♪と、それが愛する、中途半端な人生を愛するって事さ❗と。

だってさ、ぶっちゃけさ、
どんな人も、嘘つきだからさ、
良い処取りして、自分は素晴らしいですよ!なんて、情報を垂れ流してるだけでは。

美言は、真ならず。

皆さ、ぶっちゃけさ、
自分に嫌気が差すことも、
その生を、あぁ、面倒クセェー!
やりたくねぇー!つまんねー!

ってさ、思う今日だって、誰だってあるんじゃないの?????(核心)

だったらさ、
完璧な人間でもない自分も、人も、この世界も、その中で生きてる事も、完璧なんかあり得ないんだからさ、
もっと、気楽にやっていこうぜ。
もっと、このまんまでも、そんなに悪くはないものさ!

そう、僕と同じく、
中途半端な自分と、大して素晴らしいだけでもない、
中途半端な生を送る、全ての人間たちに、
全ての幻想を生きるしか無いのだけど、
それでも、自分というCameraのレンズが、
負の感情だけで曇らない様に………。

そう、中途半端な人生を、
「自分らしさ」という捉え方で、
◯をつける事ができるのは、
あなた自身の真の愛情だけだよって、
背中を押したいと思う、
今までの僕と、これからの僕たちであります様に。

僕達は、自分らしく生きていくしかできないし、
それが良いんだ!

そんな願いと祈りを捧げて、
この文章が、あなたのままでいい。

こんな人生でも、よしとしよう!
素晴らしくはないけど、悪くはないのさ❗と、思えます様に。

心から親愛なる人の全てへ、捧ぐ、
この愛の唄。




〜〜終わり〜〜

生き延びるために、 自分の生きる力にするために、 遣わせていただきます。