悩みの上から花が咲いて。

写真のセンスがある人を見ると、
いいなぁ~と思うけど、

自分自身で、
1つでも、
いいなぁ~と思えることが、
あったから、

たった1つの自分の事を好きになれたなら、
他の事は、潔く諦めて生きた方がいいのかもしれない。

それは、
今の自分の中にしかなくて、
そのベクトルが、終生続くんだ。

だからじゃないけど、
あなたの感性は、とても素敵だと言える自分の感性も、自身では当たり前の様でも、
他者からみたら、
また、全然違う様に感じるのだろうから、
自分の判断は、客観視なんかはできる訳が無いのだけど、

やはり、自分自身の主観で、自分を1つ好きならば、それが幸せだ。

それが、人を羨ましがってばかりいた僕の、僕自身による僕への、羨ましがる必要なんかないって、自分自身を救うための唯一の言葉。

自分も素敵な人間の内の1人だよと、
悪意と絶望が詰まった宝箱の最後に、
何も残らなかったという希望は、
唯一無二の完全なるオリジナルに編集され、
プログラミングしては、されてきた、ただ、1人の人間の生命の尊さのようなモノだった。
そういう事に気づかずにいた青年の僕を懐かしく思う。

そう云う事を知り得たならば、
何も誰かの何かを、羨ましく思っても、本当の意味では、自分は自分なんだと、少しは誇りに思うことができる。


その愛おしさの分だけは、
また誰かを大切にできるのかもしれない。
そうでなくちゃいけないし、自然とそうなってるのだとも思う。

そうで在りたい。

ーー終わりーー

生き延びるために、 自分の生きる力にするために、 遣わせていただきます。