自然は人が加えても更なるものができることはない
ふと今日トレッキングに行って、目の当たりにしたことを書こうと思う。
山の中を歩いているときに、緑や茶色といった自然の色を眺めて楽しんでいた。
その中で、ふと目に留まったものがあった。
それは透明と水色のラバーの空のペットボトルだ。
それが道中にあったわけでもなく、立ち入り禁止のフェンスの奥に落ちていたのだ。
自然の中にあってはならない色と、自然を破壊させかねないこの状況に怒りがさした。
「人工物は自然に還ることは無い」
はっきり言って、ごく基本の定義で、なぜかというと昔は人工物なんてものがなかったからだ。
地球が生まれたときに、誰がペットボトルなんてものを知っていたのだろうか。
人が生み出した自然を破壊しかねない兵器だ。
もちろん、私はすでに生み出された兵器に対して怒りをさしたのではなく、作られて便利という安堵感に浸って後戻りがなかなかできない今に求めるものはない。
ただ、それが不意にだったのか、悪意だったのかはわからないが捨てられていたのいう事実だ。
ここで勘違いしてはいけないので、先に言っておくと街中は誰かが掃除してくれるから道中にゴミが落ちていても大丈夫だ。
コンクリートはすでに人工物だから大丈夫だという話ではなく、そういう考えが1ミリでもあれば、その考えの人のために清掃員がいることを忘れてはならない。
仮に10人に1人が不意に落とす、10人に1人が諦めて捨てるとすると、10人に2人がゴミを落していることになる。
そして、それが1000人通る場所だとすると、200個のゴミが道中に落ちていることになる。
あくまでも単純計算で、色んな仮定は覗いているけれど、ゴミ袋が2つはできるほどのゴミだ。
考えればそれに人件費を使うのも馬鹿らしいし、恐ろしい話だ。
話を戻すと、ましてや山の中だとすると、1度入ってしまうとなかなか後戻りできないし、平坦でもないから大変なのだ。
車でも簡単に入れないし、ゴミを回収するとしても3時間とかかかってしまう。
かなりの重労働だ。
もちろん頻度は少なかれ、誰かがその役目をしているわけで、その役目がされるまでには時間がある。
人工物が自然に還らないように、その間にも木や生き物に悪影響を与えている。
もしもそのゴミが拾われることがなかったら、山の一部として循環されることなく埋まっていくのだ。
そしていつかの自然の崩壊へと導くのだ。
この写真を見たときに、皆さんはどんな思いを抱くのだろうか。
皆さんはどんな行動を起こすのだろうか。
他人事なのだろうか。
それは実際にその場面が訪れたときのあなたの行動が思ったことだ。
p.s.
この後このペットボトルを回収し、資源ごみへ捨てました。