鷹が鳶を生むとはこういうこと
ふとこの前、私の今の人生の選択肢を選んだのはなぜかと考える時があった。
大抵こういう考えは歩いているときに、ふと降ってくるのだ。
事の始まりは高校3年生のときかもしれない。
大阪の都会に住みながら、朝の満員電車が嫌すぎて30分かけて自転車で学校まで通っていた。
運動にもなるし、気分爽快のまま学校に行けるからっていうのがほとんどの理由。
(人の第5感と言われるように、人の気を吸い取らずに学校まで行けるから)
その時からだろうか、自分という人間について考えるようになった。
うちの家族では、共通点は海外が好きだという事。
それ以外は私だけかけ離れて趣味が変わっている。
しかもよりによってお金のかかる趣味ばかりだ。
カメラだって余裕で万単位のお金は飛んじゃう
トレッキングだって、揃えてしまえば色んなところで役に立つけど、それまでがお金が飛ぶ
今までで趣味で余裕で50万使う人ってどれくらいいるのだろうか。
もちろん、服が好きな人はそうかもしれないけれど、続くか続かないかもわからない趣味に投資はかなりの痛手だ。
でも全部に共通点があって、自然とたくさん触れたい。
都会に住んでいたからこそ生まれた感情なのか、おじいちゃんのお兄さんの家が大分で田舎だったからだろうか。
自然との関わりはそこまで多くなかったのに、他の人から何をそこまで自然を好きにさせるの?と言われるくらいには好きだ。
でも理由はなんとなくある。
やっぱり都会に住んでいると、人の顔を見るたびに気持ちが下がってしまう。
ガソリンの香りに吐き気がする。
建物が視界を遮って、思考を埋め尽くす。
とにかく開放的な環境は体が禁断症状となり欲していたのかもしれない。
それに加えてトレッキングが今では大好きだ。
日本も確かにたくさんトレッキングはできるのだけれど、ニュージーランドに勝てる国はないのではないかと思う。
これほど自然と共存できている国は少なく、私の天国だ。
これに関しては、ありふれた私の体力があるからこそくる感覚だから共感は少ないのかなと思う。
でも、今の私は自分と向き合う時間が多かったからこそ選んだ選択肢で、1人暮らしをしたから見えた考えなのかなと。
家から逃げ出したい、何人がそう思ったことがあるだろうか。
そのおかげで私は強くなり、今の人生を猛反対していた家族も今では認めてくれて、なるようになると信じている。
私は私。
家族は大事な一員だけれど、人生までは任せることはできなくて、今の自分を形成してくれた一部は家族のおかげ。
最後の選択肢を選んだのは私だけれど、今の私が幸せであれば親も幸せみたいなので、幸せであり続けられる方法を続けよう。
そしてそれが私の親孝行で親の求めているものだから。