考えるよりも心と体が動いているんだ
”思い出”
この言葉を振り返る時は、大抵写真を見返すことが多い。
特に私はたいそれたカメラマンでもないし、どちらかといえば趣味だったカメラが誰かにとって求めていたものであればいいなぁと思うくらい。
だから今では相棒と言わんくらいにいつも一緒にいるカメラも、実は1度手放したことがある。
さようなら、また会う日まで
初めて一眼カメラを手にした時は心のどこかで、
”一眼カメラを持つレベルならクオリティが必要だ。”
なんてたいそれた事を思っていた。
もともと写真を撮ることに慣れていない私は、写真を撮ることがどういうことかも理解していなかった。
高いものを手に入れるということは、自分の力が試される。そして勝手に上手くなると信じていた。
一眼カメラは重いだけだ、普段から持ち歩いても遠くに出かける以外に自分には必要のないものだと思い込んでしまった。
そして、思い切って買ったカメラも1年ほど実家の自分の部屋で眠ることとなった。
人の笑い声、そして伝わる幸せの空間
それからは海外や遠出をする機会が増え、自分の思い出を残そうと思い返して持ち出すことが多くなった。
ただそれ以上にイベントを通じてカメラマンをする機会が増えてきたこともあり、それが当てはまるのかもしれない。
イベントのカメラマンをしていると、登壇者の1人1人の一瞬の最高の瞬間を逃さないように意識を向ける。参加者も同様だ。
そして、写真を見返して最高の瞬間が撮れていた時に自分の中で達成感と、写真を渡した時の相手の幸せに自分も幸せになることができた。
それからだろうか、写真を撮ることが自分の中の日常と化していったのだ。
・誰かの幸せのカタチを残したい
・その空間を忘れ去られたくない
・一生で今しか残せないその瞬間をこれからも残したい
そう思って、日頃から人がいる空間にいる時はカメラを持つようになった。
別に誰かに頼まれたわけではない。
多分私にとってその空間そのもの自体がときめいている瞬間なのだ。
だから思わず私はレンズの先に写るその瞬間を、考えるよりも先に心と体が動いて残しているのだ。
今しか残せないその最高の瞬間と幸せを残して、ときめきを見返すのだ。
何気ない日常と変化
大学生の時は、毎日20分ほど歩いて学校に通っていた。
たまたまだけど、学校の行き道の道路は公園の外側を沿って行く道だったので、日々の季節の変化をおもむろに感じることができた。
毎日が同じ景色は存在しておらず、毎日葉っぱが今日は昨日より落ちているなど、何かしらの変化が必ずあるのだ。
そして、帰る時間は夜が多くて電灯もあまりないくらい道だったから、季節ごとの星空が見ることができた。
運が良かった時は流星群が手で収まらないくらい見ることもあった。
自然が照らすもの、それには私の毎日に色を付けていってるんだ。
太陽、月、星、木、葉、雲、海、山...
まるでいろんなジグゾーパズルを組み立てて色を塗ったかのような、そんな奇跡的な瞬間を私たちに与えてくれる。
綺麗な朝陽や夕陽は今日の今しか見れないもので、明日にはきっと雲によって光が差し込むような神々しさを放ってくれるかもしれない。
自然も同じようで全く違う顔をしている。
その中でも思わずときめいた時にはカメラを構えて撮っている。
何度も見返してもこう撮った方がいい見え方かも、と修正した時より”ときめき”を感じて無意識に撮った写真が1番出来のいい写真のことが多い。
もちろん修正して見栄えはよくても自分の中でときめきを感じるのは、絶対思わず撮った写真なのだ。
だから自分の写真フォルダにある写真は、ほとんどが私がときめきを感じたものばかり。触れる時間が多いのと好きが多いからか、夕陽と朝陽が多いけれど大半が自然に関わったもの。
だから毎日ときめきを探しながらカメラを構える。
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