宇岐須神社~伊達軍と戦った道祖神~
宮城県加美郡加美町にある宇岐須神社(うきすじんじゃ)は、延暦年間に坂上田村麻呂による創祀と伝えられます。
久奈斗神を祭神とし、五社の宮・六所明神・浮州明神とも称されました。
久奈斗神(岐神)は、道の分岐点で旅人の道中安全をはかる神で、サエノカミ(塞ノ神)と同様に道祖神として信仰を集めました。
また、『延喜式』道饗(みちあえ)祭(陰暦6月15日に、邪気の入らぬよう京の都の四方の路上に供物をする祭)の祝詞の中で、 禍(魔物)を塞ぐ神として登場します。
余談となりますが、東国三社(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)の一つである息栖神社の祭神も同じ久奈斗神で、息栖神社の社伝によると、鹿島神・香取神による葦原中国平定(国譲り)において、東国への先導にあたった神であると伝わっています。
宇岐須神社のある大崎地方は、茨城県の鹿島神宮(東国三社の一つ)から分霊して勧請された鹿島神社が多数所在する地域で、古代の蝦夷征伐においても激戦の地となっていること、また、息栖神社の社伝にある久奈斗神の役割を踏まえると、坂上田村麻呂により勧請されたという社伝もうなずけます。
閑話休題。車を鳥居横のスペースに停めて参拝します。
こちらが拝殿です。昭和2(1927)年に再建された社のようです。
境内には石碑がまとめられています。
「香取神社」(写真左端)や「庚神様」(写真左から2番目)と彫られた石碑をはじめて見ました。
宇岐須神社の祭神と関わりのある香取神社の石碑があるのが興味深いです(おそらくそれほど古いものではないと思いますが)。
神社付近は、天正16(1588)年の伊達家と大崎家の戦い(大崎合戦)における主要な戦いの一つ、中新田合戦の古戦場になっています。
中新田合戦の際、寒さに耐えかねた伊達勢が宇岐須神社の社殿を焼いて暖をとるという暴挙にでます。その暴挙に激怒した内出道満(大崎方の将)が単身敵陣に割って入り壮烈な戦死を遂げました。
このとき、宇岐須神社の神霊が道満の馬に騎乗して伊達勢を難所に導き、多大な損害を与えたと伝わっています。
「難所に導き、多大な損害を与えた」という部分が、祭神(久奈斗神)の性質をよく表していて面白いです。
また、付近には大崎合戦時の伊達方の戦死者を葬った伊達塚と呼ばれる塚があるそうですが、耕地整理により縮小され、現在はほとんど残っていないようです。かつては刀剣などが掘り起こされたことがあるとか。
この一帯を伊達囲いと呼ぶそうです。
【住所】宮城県加美郡加美町下新田字上古川97
【祭神】久奈斗神
【御朱印】なし
【駐車場】あり