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サンリオVfes2023のキヌさんのライブに心揺さぶられたVRC一般勢の記録

書き始めるこの段に及んでも、何から書き始めてどこまで言及すればいいのか、考えがまとまらずにいる。
言いたいことを全部書き出したら多分誰も読んでくれないぐらいの分量になってしまいそうなのは分かっているので、
・どのような状態であのライブに接し
・ライブの時どのように感じ
・ライブの後どのように思いが変化していったのか
・なにより、なぜここまで揺さぶられるようなことになったのか
に絞って書いていこうと思う。

1.ライブ開始までのこと

1-1 VRCにおける自分の立ち位置

まず自分のVRC上における活動状況について述べると。
・2021年12月にQuest2単機勢としてVRChatを始め、翌年6月よりPCVR勢
・Unity上でのアバター改変はちょくちょくやっているが、ワールド作成歴はなし(アイデアはあるのだが勉強が全く進んでない)
・イベントのスタッフ、創作発表(DJとかライブとか…)の経験もなし
なのでまあ、
「自分はVRC一般勢です」
って自称して差し支えないんじゃないかな、とは思っている。VRCに限らず、ここ数十年創作と呼べる活動をした事もないし。

1-2 ライブ参加に至る経緯

そもそも、1月21日のあの日(以下、「ライブ当日」と表記。ライブ二日目である22日は仕事でログイン出来ないことが確定していたので、僕にとってのライブ日は21日の「DAY1」一日だけだった)にVRCにログインした主な目的は「キヌさんのライブ」ではなく「ALT3の0b4k3(obake)さんとTORIENAさんのDJプレイ」だった。

年末、つまり一か月ほど前に初めて行って感動したCUE(archive)のワールド作者とALT3のプロデューサーは同一人物だ、というのをライブ2日前に初めて知り、ワールドで使われてた曲(”OW(2022-edit)")と映像のセンスの良さを目の当たりにして「これは相当良い音出す人に違いない」と直感してた(「0b4k3」の読みすらこの日初めて知ったぐらい、この人について何も知らなかったのだが)
TORIENAさんはBeatmaniaへの提供楽曲(「Chewingood!!!」や「めでてえ」など。youtubeに上がってる音源は非公式なものだと思うのでリンクは貼りませんが)で名前を知ってたのでこの人のDJプレイも聴く気になってた。

0b4k3さんのプレイは21:00終了でTORIENAさんのプレイは22:00開始。1時間のインターバルをどう過ごすか、ってなったときにB4エリアでキヌさんというアーティストのライブが21:30から開始になってるのを知った。
公式HP見てキヌさんが前回のVFesに出演していた、という記載があるの見つけた時、
「去年すごいライブをした人ってこの人か?」
とは感じた。一応。
一年前、サンリオ主催のVRフエス(正式名称なんて当時の僕は覚えてない)で「メタ的な内容に言及したすごいライブがあった」という記事を当時読んだ、という記憶だけはあった。が、それ以上のライブの詳細や演者の名前は完全に記憶から抜け落ちていた。
前回Vfes開催時、僕はQuest2単機でVRCを始めたばかりだった。記事を読んで「VRってすごいんだなあ」とぐらいには感じたとしても具体的な現場のイメージなど湧くはずもないし記憶に残るわけもない。当時の僕にとって、サンリオVfesは完全に他人事だった。

そんなうろ覚えも甚だしい状態ではあったが、当時の僕は
「まあ、違っていたならそれはそれでいいか」
ぐらいに軽く考えてた。だから当時のweb記事を検索して去年のライブの演者の名前を確認することもしなかったし、キヌさんの活動内容をtwitterやyoutubeなどで確認することもせず(だから0b4k3さんとのコラボ楽曲が有って前回のライブで演奏していたことや昨年のライブ動画が(今年のライブ前日になって)アップロードされてた事も全く知らなかった)、ライブ当日の21時過ぎに「B4 CHILLPARK」のライブ会場に入った。

2.ライブ最中のこと

予告もなしにライブが始まり、光と深い靄の中から出てきた演者が

サンリオバーチャルライブ/2023/今年も/最高の夜にしよう


(/(スラッシュ)はそこで一旦言葉が途切れている事を示す)(この部分は筆者の聞き取りによる書き起こしなので、演者の想定とは違う漢字・表記になっている可能性があります)

と叫んだのを聞いた瞬間、「この人が去年の『すごいライブ』の人だ」と確信した。したと同時にボロボロ泣いていた。
一緒に飛び込んできた光と音と言葉の強さと格好良さに勝手に体が反応して涙が出た。そんな感じだった。

ここから先、ライブパフォーマンスの内容を文字で表現するのは野暮なことのように感じる。
(この文章を執筆してる時点では)映像配信やタイムシフト配信で実際のライブの様子を見ることができるし、あそこで行われた内容を正確に表現できるだけの知識や技術を僕は持ち合わせていない。
なので、ライブの時に自分が感じた事考えたことを(できるだけ当時の記憶に忠実に)箇条書きにしていこうと思う。

  • やばい、これやばい。

  • もうこれ、ロックでいいんじゃないのか。2023年、最前線のロックミュージック。

  • 音と光と一緒に、感情を叩きつけられてる。

  • 感情ってなんだ。祈り?願い?希望?信念?ネガティブな感じじゃないのは間違いない。

  • (カメラ構えながら)動く気になれない…そもそも、カメラ越しにこれを観ている時点で野暮なんじゃないか?

一部注釈させてもらうと。
「もうこれ、ロックでいいんじゃないのか」
→「ロックミュージック」「ロック(的なもの)」の定義とかイメージは人によって違うと思うが、自分は「個人的な物語を音楽で表現してたらその時点でロック(なんなら音楽以外の表現でも構わない)」と考えていてライブの最中もそう感じていた。
「(カメラ構えながら)動く気になれない…」
→僕の場合、VRCでイベントに参加したり、一人で綺麗なワールドに行ったときに写真を撮る習慣がある。
twitterで写真を載せて自分の思いを共有したいと思ってそうやってるわけだが…まあ反応という承認が欲しくてやってる側面も否定できない。
写真を撮る以上より綺麗に撮れるアングルとか場所を探すこともよくやっているが、あのライブの時はそれをやる気が全然出なかった。あの状況でより良いアングルを求めて移動したりFlyCameraしたりしたらライブをぶち壊すような気がして、出来なかった。
ボロボロ泣きながら、その場で写真を撮り続けてた。
(ライブ時の写真を載せた僕のツイートを後で紹介するが、その際(ズームアップや事後のトリミングなどはしているが)演者から見て左斜め前方の位置からの写真しかない事を確認してほしい)

3.ライブ後の事

3-1 ライブ終了当日夜の事

ライブの後、ALT3でのTORIENAさんのDJプレイを(メインインスタンスに入れるわけもなく)一人で楽しんだ後の午後11時過ぎ。
「さて、今日の事をtwitterに書こう。まずはキヌさんのライブの事から」
とは思ってPCの前に座ったがどうにも文章が、感情がまとまらない。
「演者の感情を思いっきりぶつけられた」という認識はあったものの、その「感情」がなんなのか一つに絞れず、何も書けずにいた。
ふと「youtubeでライブ配信のアーカイブが見れるのでは」と思い立ち、確認したら実際に見れた。

(キヌさんのライブは8:55:00から。タイムシフト配信日以降は削除される可能性も?)  
2023/1/30のタイムシフト公演終了後非公開動画になりました。

(2023/12/3追記 キヌさんのチャンネルにて当該ライブの記録動画が公開されています。参考にどうぞ)

1、2回見返して、ようやく「あの感情を一つの言葉に(無理やり)まとめるなら『覚悟』なんだろうな」という風に考えがまとまってきた。
そう思いながらTLを眺め、そのとき(当時)片思いフォロワーだった「ゆーてる」さんが自分と全く同じ「覚悟」というキーワードを持ち出してたのを見つけて「うっわ、やられた」と思いながら(深く考えずに)RTした。その後に投稿したのがこのツイートだった。

投稿後も気分が収まらず、うだうだとアーカイブを見直したり、公式HPを見るなどしていた。そうしているうちにキヌさんのライブタイトルが「はじまりのおわり」であることに考えが至った。

(ツイートの投稿時間見ると、書き始めから2時間近く経ってますね…)
前述のとおり自分は2021年12月にVRCの世界に入ったのだが、当時はユーザー同士の自治意識が強かったように感じた。それが月日が経つにつれ感じられなくなった一方、醜聞めいた話の方が目立つようになった。そう感じている。
『コミュニティの一生』のコピペにおける『面白い人が面白いことをする』時期は僕が入ってきたあたりで終わってしまったのでは?」
という漠然とした考えはライブの前から抱いていた。tweetしたりVRC上で話したり、ということはこの時まで無かったけど。
「(ライブタイトルの)『はじまりのおわり』ってそういう意味では?」
そう思ってライブ冒頭のキヌさんの言葉を聞きなおすと、より切実感と強さを持って言葉が襲ってくるのを感じた。

揺れる世界は日々変わる/バーチャルリアリティの世界の中で/技術を/文化を生んだ/そんな人たちだって去ってしまった/メタバースの引力は/夢も理想もまやかしも/ないまぜにして膨張していく
(中略)
はじまりの時はおわり/それでもわたしたちは続いていく/続いていきたいから/今ここがどんな場所なのか/もう一度わたしたちが定義しよう/だから/そう/わたしは/この世界の事をおしらせします//聞こえるまで叫び続けてやる

ライブダイジェスト動画より書き起こし

VRの世界を作り牽引してきた人たちが去る一方で、「メタバース」という言葉と共にいろんな人(希望とか救いとかを感じる人も、身勝手な欲望を満たす事だけが目的の人も)が入り込み、世界がどんどん膨張している。
そんな風に時代が変わる中、自分はどのように生きていくのか。
そういう決意表明をしているようにしか聞こえなくなってしまった。

結局(本来の目的であったはずの)ALT3の事を書けないまま深夜になってしまい、その日はそのまま寝ることにした。

3-2 ライブ翌日


その日は夜勤で、当然ライブの動画配信を観れるような状態ではなかったが仕事をしながらライブの事は頭から離れないままだった。
ただ深夜は比較的暇なので、その時間でTL見たりツイートしたりしてた。
そのうち(前日RTした事をきっかけに色々反応をもらっていた)ゆーてるさんとリプをやり取りする流れになり、その中で僕はこんなことを書いた。

書きながら、一つのツイートで内容が収まらないことに驚いてた。
また、あのライブのメッセージが「バーチャルリアリティの世界で表現活動をしてて、これからも続ける人の決意表明」だったとして、なぜVRCの世界で表現活動らしい事を全くしてこなかった自分にここまで刺さったのか。その理由が思いつかず、自然と「未だに心の整理がついてない」という言葉が出てきたのを覚えている。
それに対する返信がこうだった。

うまい言い回しするなあ、と思ったと同時に
「これは何か行動をしないわけには行かなくなったな」
とも感じた。
「動揺と混乱」に向き合うことの大事さは理解できる。だからこそ「動揺と混乱の感情はフェードアウトしていったけど結局何も残りませんでした」っていうわけには行かないぞ、と。

「せめて自分のようなものが如何にしてあのライブに打ちのめされたか、その記録を残そう。あわよくば関係者に見てもらえればいいな」
そう考え、noteに書くことを決意し今に至っている。
(なお、第一稿を書き始めてからここまで約7時間ぐらいかかっている。こんなに文章って書くの大変だったっけ…?)

4.結局、ライブの何処に心揺さぶられたのか?

4-1.キヌさんの表現ジャンルのこと

キヌさんのYouTubeチャンネルを見つけて、彼女の自己紹介動画を見た。

「オルタナやベースミュージックに影響を受けた感じのポエトリーリーディングが得意で」

https://youtu.be/6OcisQjQ954?t=19

「オルタナ」「ベースミュージック」ってなんだっけ、と思って調べたらwikipediaにそれぞれこう書いてあった。

オルタナティヴ・ロック(英語: alternative rock)は、ロックの一ジャンルである。オルタナティヴ、オルタナ、オルト・ロックなどの略称がある。

オルタナティヴ(Alternative)とは、「もうひとつの選択、代わりとなる、代替手段」という意味の英語の形容詞。オルタナ・ロックは、大手レコード会社主導の商業主義的な産業ロックやポピュラー音楽とは一線を画し、アンダーグラウンドの精神を持つロックのジャンルである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF

ベース・ミュージック (Bass music) はクラブミュージックのジャンルの一つ。かつてはヒップホップのジャンルのひとつで、低音部を極端に強調したサウンドと速いBPMが特徴のマイアミ・ベース(英語版)、アトランタ・ベースを指していた。近年ではドラムンベースやダブステップ、トラップなど、イギリス発祥のクラブミュージックのジャンルを指すことが多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF

「あー、これ自分の好きな音楽のジャンルだわ」と感じた。
学生時代に何度も聴いてた「ナンバーガール」や「ビヨーク」や「レディオヘッド」(リンク先は各ミュージシャンのYouTubeチャンネル)もオルタナロックの一種(とされている)。
クラブミュージックの中でも重低音がガンガン効いたジャンルの音楽は聴いてて「格好いいなあ」と感じていたし、ベースミュージックの中でも更に細分化された「ドリルンベース」というジャンルではあるが「スクエアプッシャー」や「エイフェックスツイン」はやはりCDを繰り返し聴いてたアーティストだった。
(エイフェックスツインですが…この人、曲によって作風が大きく変わる方なのでこれだけは(彼の代表的なドリルンベースといえる曲の)個別リンクを貼らせていただいた。あと、MV自体かなり変態的なんで内容知らない人は閲覧注意)

ポエトリーリーディング (英語: poetry reading) は、主に詩人が自作の詩を読み上げる行為を指すが、20世紀後半からは特にライブハウスなどの会場で詩を朗読するパフォーマンスを意味する場合が多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

ポエトリーリーディングについては聞き覚えがあった。あったどころかそれっぽいことをしていた過去さえある。
冒頭で「ここ数十年創作と呼べる活動をした事もない」と書いたが、その数十年前、自分は大学の文芸サークルに所属して口語詩を作っていた。同級生の書いた詩を見て「詩ってこんなに自由なんだ」と衝撃を受けたのが詩を書き始めたきっかけで、「形式にとらわれず、より短い言葉で的確に自分の感じたことを相手に伝える」ところに自分は詩作の魅力を感じていた。
その中で「ポエトリーリーディング」という表現形態があることを知る機会があり、ポエトリーリーディングのイベント(当時流行っていた「詩のボクシング」関連のもの)に参加したりスタッフとして関わったりしていた。
が、社会人になって地元に帰ったことでその手の創作活動を行う機会は無くなり、そのまま現在に至っていた。
音楽に合わせて詩を朗読するタイプのポエトリーリーディングがあることは知識としては知っていたが実際に見たことはなく(僕の知ってる当時の「詩のボクシング」に伴奏音楽は無かった)、ましてやオルタナロックやベースミュージックに合わせて詩を朗読する人がいるなんて聞いたこともなかった。「そんなことやったら音楽の激しさに詩が負ける」と、キヌさんのライブ見る前の僕ならば思っていただろう。

(可能とは今まで思ってもなかった)好きな音楽ジャンルと好きな文芸ジャンルが合体するのを見て感動した。
まとめるとこういう話になる。でも、心動かされた理由を説明するにはこれだけでは十分じゃない。

4-2.「表現者」としての感情と言葉の強さ、それと構成の巧みさ

ライブで「『私はこうやって生きて、思いを表現してぶつけていく。表現をあきらめる気はない』いう覚悟」という感情をぶつけられた気になった、という話は先に引用した自ツイートで紹介した。
「奔流」と表現せずにいられないほどの轟音と映像に負けない、むしろその前に出てくるぐらいの勢いで言葉を叩き込むキヌさんの姿は強烈だったし、その言葉自体も的確で強烈だった。

わたしは初めて夢を見ている。/この夢を終わらせてなるものか。/この日々を奪わせてやるものか。/このいのちを諦めてやるものか。

https://youtu.be/LmoMg0zVr6w?t=285

例えば「バーチャルYouTuberのいのち」最終盤のこの部分。
短い文章を、少しずつ言葉を変えながら矢継ぎ早に放ち、最後には(リアルで生きる人間ではなく)「バーチャルYouTuber」としての言い回しで表現者であり続けることの覚悟をぶつけられる。本当に力強くてたまらない。引用文を書くための確認で当該部分を聞き直しても再び心が揺さぶられそうになる。

ところでキヌさんは今回のライブにおいて観客に向かって「○○しよう」「○○しなさい」みたいな行動を促すような言葉を使っていない。「バーチャルYouTuberのいのち」はライブでも披露された作品だがそこだけの話をしてるのではない。ライブ全体を通じて、一度たりとも、相手に何かを促す言葉を使っていない、のだ。
あくまで「自分の考え」「自分の思い」の表現に終始していた。それなのに、ライブを観たあとの僕はそれを他人事ではなく自分の事として捉えていた。
なぜだろう。キヌさんの詩の構成が巧みだから、という側面もあるのだろうけど(同じ曲の中で、ライブ全体の中で、果ては去年のライブをも含めた範囲で対比とか関連付けが見いだせる表現が多く存在している。繰り返しアーカイブ動画見た中で僕はそう感じたし、それは意図的なものだろうと考えている)、一番は自分の中の「表現者」の部分が触発されたから、なのかもしれない。「私は表現をし続けるし、いろんな表現に心を動かされ続けるだろう。あなたはどう思いますか?」と間接的に背中を押された気分になった、というか。

「単に好きな表現ジャンル同士の合体技を見せられたからだけではなく、『表現者』としての強い覚悟の込められた言葉と表現に間接的に心を押され、揺さぶられたのだ」
と、ライブから一週間経過した今の時点では考えている。

5.最後に(書き上げた今の思いとこれからのこと)

キヌさんのライブの内容と、そのあとのゆーてるさんとのやり取りに背中を押されるようにしてここまで書いてきた。
とりあえず「あのライブでここまで心揺さぶられた人間が居ることを書き残す」という表現はやり遂げた気になっている。
なっているがこれでキヌさんに揺さぶられた心が元に戻ったようには感じない。彼女にもらったものを返すにはこれでは不十分だろ、という感情がくすぶってる。
では何ができるのか。何を一番したいのか。正直今のところ考えはまとまってない。ひょっとしたらこのままやっぱりフェードアウトするのかもしれない。
とりあえず、30日のタイムシフト公演(29日は仕事があって無理)は他のB4出演のアーティストも含めて観ようと思っている。

(2023年1月30日の午後1時までに)この文章をここまで読んでくれ、キヌさんのライブを観てないPCVRユーザーがもし居るならぜひSANRIO Virtual Festival 2023 B4 CHILLPARK に行ってライブを観てほしい。
僕と同じ思いをする人が一人でも増えてほしい。
そう願いながら投稿ボタンを押すことにする。


(2/3追記)
宣言通り1/30のタイムシフト公演を(B4での他のアーティストのライブも含め)見てきました。まずはtwitterに書いた感想をペタリ。

「二度目のライブで再び泣く」みたいなことは無かったのですが、とにかく物凄く緊張しながらライブに臨み、ライブの迫力に立ち向かうようにしてカメラを構えてた感じでした。

twitterにあげたのとは違う写真を二枚ほど。なるべくステージ正面に陣取って見ていたがやはりライブ中に移動するのはためらわれた

…再公演も終わり、アーカイブ動画も非公開になった現在でもVfesの感想を誰かと直接話したい気持ちはくすぶり続けている感じです。
(そんな奇特な人はいないとは分かってますが)VRCで僕(「きっどえー_kidA jp」)を見かけて「Vfesの話聞きたい」と声かけてくれればここに書かなかった事も含め色々話せると思います。キヌさんが半年前に手掛けた「nakayoku connect」の話とかも…(1/30と今日2/3の二回見てきた)


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