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人を好きになってしまうということ

その時は不意にやってくる 

小学生の頃は「女子なんか好きにならへんわい」くらいに思ってた野郎が
突然、胸ぐらを関取に掴まれ地面に叩き付けられるが如く、まるで交通事故にでもあったようにやってきた。

 最初は気持ちを伝えてダメだったらと考えそれこそ悶々と時間が経過していく。
 意を決して想いを伝えたら、そこからさらなる辛さと苦しみの日々がはじまる。そこでとても運のいい人は晴れて両想いになるのでしょうけど、多くの人はそうではないのでしょう。私もその一人として七転八倒するわけです。
 今、これを書いているのはそれから四十数年後の自分なのですが、その
頃の自分よりも色々経験もし、長く生きてきていても、あの苦しみの日々を過ごす自分に一体どんな言葉をかけられるのだろう、と考えてもロクなことは言えそうにありません。

当時の自分は苦しみから逃れることを良しとせず自滅的な道を選んでしまい、想いを胸に自分の存在を消し去ろうとしてしまうところまでいってしまいます。自分の親は精神科を受診させて隔離してしまおうといういう考えでしたが、今考えれば少なくとも鬱状態であったというのは間違いないだろうと思います。

ともに過ごした僅かな時間があまりにも愛しく幸せだったがゆえに
激しい喜びをくれるものは、同時に激しい苦しさをもたらすってことを思い知ることに。

正直、辛く苦しいのは嫌なのだけど
少しの間であってもこの上ない幸せであった時間を思えば後悔はありません。では、じゃぁもう一回やるか?と問われれば今の自分なら
「無理」ってなりますね。

わかっちゃいても転んでしまうのが
愚かな人間ってことなのかもしれません

周りに聞くと、辛く苦しむほど好きになることもなかったって人が少なくないようで、そう聞くと損してるんでは?と思う一方、そのことによる苦しみに苛まれることがないので心の怪我を負うことはないのでしょう。

でもころんだことも含めて人生の彩りが豊かであったのは間違いなさそうです。


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