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ゼノブレイド3 ネタばれ全開 クリア後感想:失望  Xenoblade is dead.

失望。
その言葉しか出てこない。

まさかこんな事になるとは思わず、自分でも本当に驚いています。本当にウキウキとした気持ちでプレイしていたんです、途中までは。名前の考察なんかしたりして。DEと2を経て、問題点の分析と改善を感じ、凄いなー!と喜んだりして、本当に楽しかったんです。45時間くらいまでは。

ライプニッツの予定調和説、デカルトの身体機械論まで織り込んだ、2柱の神の骸の上で紡がれる壮大な神殺しの物語だったゼノブレイド1。

キリスト教における三位一体と、ボーイミーツガールを基軸に、巨大な神の如き獣たちの大地を奪い合う必要のない楽園を目指したゼノブレイド2。

どちらも明快で斬新な世界観とコンセプトに心躍っていたんです。
これはそういう意味なのか!と掘れば掘るほどに面白いのがゼノシリーズであり、少しくらいの粗を覆い隠してくれるだけのセンスオブワンダーを見せてくれていた。1も2も私自身としてはどちらも素晴らしい要素を持つ良作であり、どちらも100時間以上かけてプレイした。

それが、どうしてこうなった。

■シナリオ

①過去最低の駄作

あきれ返るほどにくどく、浅く、酷い。
あまりにも突っ込みどころが多すぎて書くのがしんどい。

メビウスという悪役がいて、ケヴェスとアグヌスを戦わせて楽しんでいる悪い奴がいる。インタリンクというウルトラマン(ウロボロス)になれる力を偶然手に入れた、倒そう! という話なんだろうなー、と最初の1話をプレイすればわかるだろう。
そう、わかってしまうだろう。ただわからなかったのは、まさか本当にただそれだけで終わるということ・・・。

メビウスに思想性はなく、深い背景もなく、どっかから現れたっぽいゼット達がなんか世界乗っ取っちゃいました。で、基本的にこの世界設定は終わりです。しかもこの説明の仕方も、開示の仕方も、良くない、

特に中盤以降に顕著に表れる、「具体的な因果関係を説明せず、想い、命、未来、世界の4ワードを筆頭に、抽象的な言葉表現の応酬にのみ終始して、何一つ議論になっていない問題」は深刻なレベルで物語の質を落としている。

中盤。エセルとカムナビがなぜ戦いあうのか、あれ、違和感なしで見れる人はいるんだろうか。エセルもカムナビも、執政官が命を弄ぶ極悪人で、明らかに戦うべき相手を間違えている。それが自由意思という命の使い方だと言っているが、別に勝ち負け決めたいなら竹刀でいいし、自分の命を握ってる巨悪をほったらかしにして戦い始める必要がどこにあったんだろうか。

しかもエセルは自分が大事に守ってきたコロニー人質にとられてんだよ? エセルとカムナビというキャラクターの人格を損なわせるような、単なる戦闘狂のエゴイストとしか見えなくするようなキャラの使い方を、なぜするのだろうか。

物語は終盤になるにつれてどんどんとあやしくなっていく。歩いては長いカットシーンを見せつけられ、ひたすら登場人物たちは安っぽくてガキくさいスパロボのシナリオよろしく「想い」がどうのしか口にしなくなる。それでもラストは・・・ラストはきっと・・・と信じて、くっそダルい強制戦闘とキャラの使いつぶしだけのラスダンを走っていった先には・・・

ノア 「人間には自由が大事なんだ!」
ゼット「お前たちは強者で、強者は自由でもよいが、弱者は自由だと失敗しちゃうかもしれないよ」
ユーニ「人間たちを再生しては戦わせる理由になってねえ!」
ゼット「繰り返す中で必ずいつかは成功するよ」
私(失敗しまくって絶望してたヨランの話の後で、なんでこいつはこんな話をしてるんだろ)
ノア「人間たちを解放しろ!」
ゼット「だっておもしろいもーん」

コントローラーぶん投げようかと思った。
何の歴史も背景もなく、個の愉悦が全ての動機と言い切った時点で、
もう世界の謎も何もかも、どうでもいいものに成り下がる。

しかもこの後にゼットに命の大事さを教えてくれたことだけは感謝するぜ!とかいうんですが、その会話の必要性はどこにあるのだろう?
スクリプトドクターの導入を真剣にモノリスソフトは考えるべき。これは作ってた人たちもこの物語のつまらなさには気づいていたのではないのか? だから各所に詰めの甘さが大量に残されているのではないか。そう思わせてしまうくらい、今回の物語は、酷い。

②対立構造がつまらない

本作のテーマ的対立構造を簡単にすると、「人間の自由意思(ノア、シティー)」 VS 「人間自身が持つ未来への不安・恐怖(メビウス)」となる。将来失敗するかもしれないから永遠に今が続くことを望む人間の集合的無意識の権化・・・みたいなもの、のようである。
ようである、というのは、最後までのその内容がきちんと語りきらず、なんだかよくわからない曖昧な説明をされる為である。
まず、この対立構造がありきたりで本当に面白くない。

もしこれが今の若者たちに伝えたいテーマなのだとしたら、有難迷惑のおっさんのたわごとに過ぎない。本当に浅い。そんなものは居酒屋でクダ巻いて消化してほしい・・・。

敵に思想を与えず、単純な悪とすることで新たな方法を模索したと高橋総監督は語られているが、にしたってもう少し展開と世界根幹の作りこみとその開示は、もっと緻密に行っていただきたかった。「なぜこんな世界になった?」という世界の謎をストーリーの牽引役にするなら、ちゃんと本編の中でそれを語りきっていただきたかった。

バトル漫画やアニメといったエンターテイメントには、「物理世界における闘い」と「意味の闘い」(思想的対立、口論)の2種類のレイヤーがあり、この2つは緊密に重なり合ってストーリーの盛り上がりを生む。
どちらかに偏りすぎるとバランスを失い、行われている闘いの重要性、どちらが勝つのかのハラハラ感がなくなってしまう。こんな事は私のような素人が言い出すまでもなく明らかなことであり、特に何の理由もなく自分の欲望だけで襲ってくる怪人をやっつけて喜ぶ、幼稚な物語にする理由がどこにもなかったはずなのだ。

③そもそも2つの世界をつなぐ必要はあったのか?


どのような設定があるのか不明だが、3を見る限り、3の存在は完全に蛇足であったと思う。

前提として、どうもこの世界は、1と2の世界がくっつこうとしているらしい。
で、くっつくと今生きている人たちは滅んでしまうっぽい。
「孤独に耐え切れず2つの世界は惹かれあう・・・」と随分ポエミーな表現でニアは語るが、

どういうこと?????

と思わず声に出して突っ込んでしまった。
そんでもって、更に、世界が衝突すると今の世界はなくなってしまうから、互いの英知を結集して「オリジン」なるものを作ったと語る。それは人々を光として保存する場所であり、セーブポイントというか世界滅亡からの避難所を作った・・・らしい。

この話は、プレイヤーにいくつかの疑問と、そういうもんなんだという納得を強制している。

・互いの世界は物理的にまだ一緒ではないのに、何で球状の物体を作れたのか?
・そもそもどういう原理でそうなってるわけ?
・なぜ世界が衝突しようとしているのか?
・なぜ世界が衝突すると今の存在が消えるということがわかるのか?
・オリジンの原理は?
・なぜオリジンという名前? シンプルに「アーク(箱舟)」でよかったんでないの????
・衝突した後にどうやって再生すんの? 衝突した後に人が住める世界だって何でわかるの?

なお、これらに対し、納得のいく説明は一切行われない

世界が衝突する瞬間に割って入ったのがゼットであるというのは言われるが、
この世界の状態がどういう理由でぐちゃまぜ状態になっているか、の説明は一切ない。

は?????

更に、エンディング後、2つの世界はどうやら融合せずにまた2つに分かれるらしい。

は???????????????
なんで????????????????

FF10がなぜ名作なのか、その本編の中で語るべきことをきっちりと語り終えているからであり、追加シナリオで語るというのは邪道も邪道、最後まで期待して遊んだユーザーに対する背信行為でしかない。

融合がテーマっていったい何だったわけ?
行われている物語とコンセプトに重大な乖離があり、ユーザーにこれを埋める橋の在りかはを教えないのが、本作の重大な過ちであると思う。

④対等でないもの同士の融合という座りの悪さ

他の2カップルと比べ、実はノアとミオの関係のみ、対等ではない。
物語はケヴェス軍に所属するノア達の目線から始まり、ミオたちアグヌス側の目線からは描かれない。その後も、基本的には9→4→30と3回もケヴェス側を助ける展開が続く。

アグヌス側のリーダーであるミオは、常にノアに一方譲っているし、愚痴るセナにいつか順番が回ってくるから、と諭させてしまっている。逆に、彼女の不安や恐怖は、愚痴として片付けられてしまっている。これは今の時代にそぐわない感性であろうと思う。これは女性が尊重されるべきという主張ではなく、「ただ極自然なこととして対等の存在」として描かれるべきと思うからだ。この目線と展開の偏りは最後まで続く。

融合をテーマにしているのに、なぜ両方の目線から描く物語にしなかったのか?

アグヌス側のコロニーを助けるのはミオの余命は幾ばくも無いというのに、ノアは人道的な正しさの為にあらゆる問題に首を突っ込んでいく。

融合というのは、どちらも対等であるべきで、シナリオ上における2人の扱いも、等価であるべきだった。
エヌ周りの悲惨さはもう・・・。

そのため、ミオは徹底的にノアという船頭を献身的にその命さえ捧げて支える理想的な従属物であり、運命のお相手であり、非常に古典的で古臭い女性観が見えて透けるのである。あたかも自分の理想を自分で作ったピグマリオンとガラテアのような。1998年ならそれでも良かったが、フィオルン、ホムヒカとくるとそろそろげっぷが出そう。ラウラといい、何でこうもプレーンでキレイで・・・みたいなヒロインばっかり作り、勝たせるのか。
(なお、なぜノアとミオだけが何度も同じように流れの外に出るのかの説明も相変わらずなされない。)

⑤物語上における「キーパーツ」の扱いが酷い

「究極の船」というクエストが終盤でオーダーされる。
これは、ラスダンであるオリジンに突入するための超すごい船。
いざ作らなきゃ!となると、実際はもうほとんどできてると言われ、
世界のあっちこっちに散らばってる最後の必要物資をとってこいと命令される。
集め終わって完成だ!すごい船だ!となって、いざオリジンに突入すると・・・

なんとシティー側の大艦隊が、大会の渦を飛び越えているのである!!!
なんか一隻だけのスペシャルシップのようなふりしておいて、シティー大艦隊によるオリジン攻撃がなぜか唐突に始まるのである!!!!

もうね、頭の中が?でいっぱいですよ。
しかもここのシーン長い上に、そもそもこのアイオニオンの真ん中の大海の渦がどういう構造で、
今主人公たちがどこの位置にいて、がさっぱりわからない。

しかも今まで海を走っていた船がいきなり空飛ぶ。
操舵手はリクだな!とか言ってたのに、なぜかこのカットシーンだと主人公が隣に座って舵を握ってうおおおおとか言ってる。

はいはい、主人公がただ乗ってるだけだとかっこつかないから、
うおおお言わせたかったんですね。

こんなんばっかですよ。ほんとこんなんばっか。

ゼノギアスの潜砂艦のときの面白さはどこにいったん・・・。

⑥創造主の迷い

高橋総監督はギアス、サーガ、ブレイドと、これまで多くのRPGを手掛けてきた。間違いなくJRPGの第一人者であり、ファンから深い信頼を得ているクリエイターの一人であろうと思う。私もゼノギアスは幼すぎてリアルタイムにプレイはできなかったものの、その後のサーガを含めて兄の隣でずっと見てきており、高橋総監督が作り出す世界は、私の憧れだった。
ただ、基本的な話の主軸は似通っている部分があり、「国家の対立」、「創造主と被創造物の対立」、「神無き世界を目指す(または結果的に神は去る)」といった展開、設定がみられる。

これは完全に想像だが、自分が生み出すものに迷いを持っているのではないか。もしくは、もう1つの大きな物語を完結させるほどの語りたい何かを、自分の中から失ってしまったのではないか。
そう思わせられるくらい、余りにもお粗末な方向転換であり・・・。
シナリオライター両名の責任は極めて重大だが、当然、高橋総監督にも、深く、深く、自省と、もう語りたいことがないなら潔く若い後進に禅譲する準備をお願いしたい。かつてのスクウェアの大御所たちのように老いて石を投げられる前に・・・。

(さらに一つ気になるのは、エンディングロールにてScenarioの欄に高橋・武田・兵頭のお三方の名前はあるが、ディレクターの名前はないこと。どういう分業体制なのかは不明だが、このシナリオとゲーム体験の乖離は、ディレクターがここに深く関わっていないのが原因の一つだったのでは・・・という想像もできる)

こんなゼノブレイド3が見たかったに続く


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