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whim

十代の頃、父の只々重くフラッシュが目に痛い一眼レフに、モノクロのフィルムを入れて写真を撮っていた。何故か風景を撮ったことはなく、自分は人を撮りたがった。始めたきっかけが思い出せないのは悔しいけれど、外に出る時はいつもスケートボードと一緒にそのカメラを首から下げた。あの当時、写真をデータにしようなんて微塵も考えなかった自分は近所のDPEショップにL版で印刷してもらっては学習机の一番下の引き出しにそれらを投げ込んでいた。自分の写真は、所謂良し悪し。ではなく、記録を残すための装置ですらなかった。当時好きな写真家がいたわけでもない。ホンマタカシが市川実日子を撮った写真集をよく捲っていたが、写真ではなく市川実日子が可愛かった。思うに写真は単純に他人に近づくための手段であったと感じる。写真を撮って始まる会話が好きだった。たくさんの他人を写した父のカメラはクラブ帰り、スケートボードで転倒したと同時に強く地面に当たりレンズが砕けてしまった。

その瞬間を機に写真を撮ることをやめた。レンズを変えさえすれば続けられた。

 数年後、ニューヨークに渡ったその日からデジタルで風景を撮るという以前とは全く逆のことをし始めていた。意図はしていない。ニューヨークの晴れた空は真っ青で日本の空よりも綺麗に思えた。対比して雨の降るニューヨークも好きだった。よく雨の日は傘とカメラを持ってハーレムの街を撮っていた。そんなある記録的豪雨の日、警察署前で突然銃を突きつけられたかと思うと、それは呆気なく奪われてしまった。

その瞬間を機にまたも写真を撮ることをやめた。新しいカメラを買いさえすれば続けられた。

帰国、それから結婚を経て、自分は三度写真を撮り始めた。妊娠した彼女の身体の変化を誰かが収めなくてはと思ったからである。「アラーキー 使用カメラ 一覧」と検索して、その中で一番安かったkonicaのbig miniをオークションで購入し、お腹が大きくなったなと思う度に嫁を写した。

子供が産まれてからもたまに気が向いたら写真を撮る。今は人も風景も撮る。なにか一周したような気がして、撮影行為自体がとても愉快に感じている。

今回はいつまでか。

飽きやすいのではない。何かに執着することを知らないだけなのだ。全ては繰り返し得るし、終わり得る。写真撮影に限った話ではない。自分は「じゃあタイミングで」なんて言う人間が大嫌いだ。確かに「タイミング」なのかもしれないと思わされるのがまた腹立たしい。

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日常生活における一般の生活感情が、今行うことを無限に“繰り返し得る”可能性に根ざしているという仮定に、何らかの真実があるとすれば、私が現在やったことがあると感じるのは、それをもう一度行いたいという願望の倒錯したものではあるまいか。季節もまた繰り返し得る。この四季折々の変化がある日本にいながら、歩く街の風景が変わっているようには見えず、自分が枯渇してゆくのを食い止める術はわからないままでいる。ただ、日々の小さな変化を楽しみ、慈しみ、その一瞬一瞬を大事にする心を忘れずにカメラで人や風景の写真を撮ることを続けたいと思う。

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