情けは人の為ならず ―因果応報―
諺(ことわざ)の由来
表題は有名な諺ですね。でも正確な意味を理解している人は割と少ないのではないでしょうか?このことわざの意味しているところは、「人に情けをかけるということは、めぐりめぐっては自分のためなのですよ」というのが本来の意味です。故に、「因果応報」という四字熟語を隣に添えました。
この諺は、かなり本質的な核心をついているのではないかと僕は考えています。この世の中の人間界における社会をシステム的なレイヤーで認識しようとしたときに、社会システム原論という考え方が登場します。そこで述べられいている最小にして最大の解が「全てが全てに依存する」というものです。社会の仕組みは複雑に絡み合っており、何らかのアクションには、必ず何らかのリアクションが生じます。これを同原論では「予期せざる効果」と表現しています。まさに因果応報です。
結局、誰かに対して行った行為は、めぐりめぐっては自分に返ってくるということであると僕は考えています。
認識論
哲学の世界には「認識論」というものが存在します。人が何かを理解=認識する際には、物事の因果関係を細かく細かく区切って、論理的なステップに飛躍が生じないようにしていく必要があります。それ故に、日本語においては「分かる」という表現をします。クリティカルシンキングにおいては、これは非常に重要なステップであり、Aという事象により、Zという最終解が生じている場合、人が何かを認知するときは、A→B、B→C、…Y→Zという認識のステップを踏むことが不可欠であり、それができて初めて「事象の認識」が可能となるというものです。分かるという表現は、判る・解るというニュアンスが内包されています。このステップを理解できたときに人は「腑に落ちる」という状態に達します。五臓六腑の深い深層心理内部に一滴の水が落ちる感覚、これが腑に落ちるという人間が物事を認識するというときの感覚であり、真理です。
歴史的な背景を理解すること ―タイム・シフト―
現代の複雑な社会システムを理解するのに、もう一つの重要な要素がります。それが、この「タイム・シフト」という手法です。複数の時系列を「過去」・「現在」・「今後」と視点を推移して捉えるという概念です。歴史的背景を理解しておくことは、現在と今後を読む力につながっていきます。歴史は現在、そして今後の未来へと一連の流れと因果関係を持って流れていきます。歴史の探求は未来への標榜であり、人はどこから来て、どこへ向かっていくのかを指し示す重要な鍵になるものであるといって良いでしょう。
枠組みにおける視点移動 ―フレーム・シフト―
枠組みをシフトして捉えること、考えることは、全体的な最適解を認識する上での重要なポイントになります。自らの属するカテゴリーにおいて、チーム・部署・会社全体・日本社会全体・世界全体と、フレームを縮めたり広げたりすることによって、その枠組みにおけるミクロ的な合理的選択が全体的なフレームにおけるマクロ的な合理的選択と矛盾することがあります。身近な例で例えるなら、節約が挙げられます。個人的ミクロ的な視点では、美徳ですが、経済全体の視点からは、景気低迷を引き起こす要因となり、全体最適とはならないという事例です。企業におけるCSR活動などは、ミクロ的な視点である企業的なフレームから、マクロ的な視点である社会的なフレームへと視点を移動させて、社会貢献活動を行うという事例になります。これも企業的なフレームが属している社会的なフレーム内における合理的選択と行動を行うということであり、ゆくゆくは企業活動に対してのリアクションとして、プラスの効果が返ってくる、情けは人の為ならずという因果応報を目指した活動であると捉えることができると考えます。
合理的選択におけるマクロ的な視点の重要性
人間は自らが定めたゴールに向かって、合理的な選択を行う生き物です。人は知らず知らずのうちにミクロ的な視点からの合理的な選択を行って生きています。重要なのは、その選択において短絡的な思考からの、目先の利益に捕らわれないことことが重要になってきます。個人的な視点から少し枠組みを広げ、マクロ的な視点から、目指すべきゴールを定めて、合理的な選択を行っていくこと。同時にそれは、最終的に全て自分に返ってくるということを理解した上で、日常生活を送っていくことが、結果的にはマクロ的なリアクションになって自分に返ってくるということ。この因果関係を理解しておくことは、あなたの豊かな人生を送るためのヒントにつながるのではないでしょうか?
「情けは人の為ならず」。この諺の持つ教訓をぜひあなたの人生に活かして欲しいと切に願います。