精神的外傷 Traumatic Stress Disorder
自覚症状
世界に満ち溢れているT・S・D(Trauatic Stress Disorder)。この事実は、僕の精神状態を追い詰める一要因です。世界は複雑に絡み合っており、これを学術的に表現するとすれば、「全てが全てに依存する」という社会システム原論の最小にして最大の解になります。
ただ単純な問題を解くだけであれば、これ程までに無意味に苦しむ必要はなく、それにも拘らず、僕の性格=Personalityは、誤解を恐れずにいってしまうと「世界の病み」が「僕の病み」であるとしか表現できないくらいの、繊細な感受性を有しているものになります。
そのようにして「極めて深刻な精神状態へと追い込まれること」がたびたび起こるのが、僕のPersonalityです。そうならざるを得ないのが、複雑に絡み合っている世界そのものであり、それが僕を不調へと追い込むのです。
この敏感すぎる感受性とうまく付き合っていくことが今の僕の課題でもあります。ただ、その課題を克服するたびに得ている新しい僕は、常にOSのバージョン・アップを繰り返し、新たな視界とクリアーなアンサーを携えて、僕という自我に新しい世界の見方を見せつけ続けています。
この苦悩の末に、ココロのバージョン・アップを繰り返しています。これが「僕」という名の「イデオロギー」(論理的機軸)が指し示している、未来に対する標榜です。
等身大の自分
僕は私であり、俺でもあり、”I”である。Iと表記されるItは、自分に投資された全てを内包しています。その全てが、投資有価証券のごとく、自らを構成する「原価」であり、この記事によるアプトプットは、差し詰め「減価償却費」と例えても良いのかも知れません。
この後に登場するモノは?
徐々に見えてきた自身のPersonalityと活路は、果たして今を生きるための武器となりえるのでしょうか?壮大な試行錯誤の果てに、得るものは何でしょうか?生き残ったモノは、何に変貌を遂げるでしょうか?願わくは、等身大の自分とWin-Winの関係になりたいと思います。
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