「大きい小さい」
大好きな店が、風のうわさで「朝礼で爪検査を行なっている」ということを聞いて、驚愕しかなかった。
差し出した両の手の甲をチェック、なのかな。
「なんだかなぁ」と、じりじりした気持ちになった理由は、かつてそこは、わたしにとって「解放区」のような、自由を感じる場だったからだ。
爪なんて、邪魔だったら切るし汚れていていちばん嫌なのは本人であろう。そこを他人がお節介するとは、てか、子どもじゃあるまい。
なにより、(一方的な)「検査」と名のつくものに対して苦い思い出しかないのでなおさらそう思うのかも知れない。
検査満載の学生時代は、それこそ「スカートの長さ検査」に始まり、「セーラー服のリボン検査」、「三つ折り靴下検査」、「頭髪染めてないか検査」、「自転車通学でヘルメット着用してるか検査」、「視力検査」(ど近眼ゆえバツが悪かった)、「体力検査」、「知能検査(学力テスト)」.....。
そんな検査三昧の日々をどうやり過ごしたかというと、「指導の目を盗んで」みたいなことに、ほとんどのエネルギーを費やしてしまった。(例えば、先生が通り過ぎたら秒で制服のスカートの丈を腹にくるくる巻いて短くするなど)
サクッと早い段階で見限って、「こんなもんだよ学校なんざ」とガラガラとシャッター閉めればよかったのに、なんだかんだ15歳くらいまで頑張っちゃったな。
その反動か、高校時代は枕持参(水色のギンガムチェック。手縫い)で登校するまで没落したけど。
組織というものは、人数が増えれば増えるほど「学校化」されていくのかも知れない。
延べ9年間に及ぶ(高校入れたら12年!)義務教育のやり方が骨身に染みていて、なるべく手放したいと思いつつも、まだまだわたしの中にも残っている。だから気になる。またそこに戻るの?って。
「きこさんも店を大きくしてみたら分かりますよ」
「お客さまを嫌な気持ちにさせないために」
その通りだと思う。よほど、のっぴきならない何かがあったのだろう。
お客さんを爪で引っ掻いちゃったとか、爪のあいだの菌が繁殖して胞子を放ってお客さんが咳き込んだとか、蚊に刺されまくってかきむしった爪のあいだの血がホラーだったとか。
今の時代は直接のクレームだけでなく、匿名の「評価」というものも跋扈しているし。
どちらかといえば、「爪長いと割れる!洗い物しにくい!困った!あ、切ればいいんじゃーん!」「ようやく分かったかー!満を持したネー!」という決定的瞬間に立ち会いたい&ハイタッチしたいタイプのわたしは、店を拡げるどころか潰しかねない。いや、確実に潰す自信がある。
もっと、ちいさく。より、ちいさく。
今後の波羅蜜のテーマである。