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「おばんざいと手相」

あたらしい試みというのは、ほんとに学びがあるものだ。
自分の「今」持っている腕前を試すということは、「やりたい6割」VS「やりたくない(躊躇する)4割」くらいの割合で、少しだけ「やりたい」がまさっているからやる。

わたしの場合は、いつもそんなふう。

宗像堂の「宗像発酵研究所」で催した、「おばんざいとひとくち手相」は、おばんざいだけだったらそれなりにやってきた「料理」のことなので心づもりはあるけど、「手相」となると、なんせ目下勉強中ですし、人様の手をその場でみて何かを言う、ということを宣伝したことがなかったので想像がつかなかった。
その夜は結局、料理の仕事の合間を縫って、かれこれ25名ほどの手の平を見せてもらえました。

頭で考えていたよりも、実際に行動した方が、何倍も何倍も気が付くことがある。手相は、当たる当たらないではないけど(伏線を張っているのではなく、手そのものを見ることが大事なので)、手のかたちや線のあり方を見て言ったことが、「当たった」場合、どうしても「やった!当たったぜ」と思う自分がどーしてもいる。
もちろん占いをしている人のなかには、「当たる当たらない」に焦点を当てて追求している方もいるだろうし、それもひとつの在り方だと思うし、それを望んでいる人もいるだろうし。
ただわたしの本心は、「そうじゃない、そこじゃない」と格闘しながら、軌道修正するのがなかなかで、まるで自分のなかにふたりの人格がいるみたいだった。
合わせて、手相のテキストで学んだことと直感との擦り合わせが難しくて、ちょっとでも迷い(詮索)が入ると、たちまち靄がかかる。

改めて、「みる側の姿勢」というものについて、「姿勢」を正すような夜だった。
それをちゃんと構築していこう、と。

とてもちいさくてお人形のような手(思わず握りたくなったよー笑)、がっしりしておおらかな手、伸びやかでしなやかな手、白魚のような手、ふくふくした柔らかい手、湿った手、乾いた手、引っ込み思案な手、ぱあっ!と開放的な手、生まれたての手、皺がたくさん刻まれた古木の年輪のような手。

赤ちゃんからおばあさんまで、宗像堂の幅広いお客さん層に助けられ、初めの一歩の経験を積むことができました。

おばんざいも、久しぶりに妹といっしょに厨房に立てたこと。
アルトンエリスを聴きながら仕込みをしてたら、30年くらい前の葉山の森戸海岸の海の家「OASIS」のキッチンにタイムトリップしたみたいだった。
長く生きるって、こういうたのしみがあるんだな。

おばんざいの品書きを記録しておかんとな。

赤目里芋の葱じゃこ炒め
ズッキーニポテサラ
千切り紅心大根&人参、パクチー、与那原ひじき、干し海老の和えもの
京都久在屋さんのお揚げと屋部大根のおでん
車海老の紹興酒漬け
島豆腐の塩糀漬けとセミドライトマトのカプレーゼ
鶏レバーとグリーンレーズンのコンフィ 宗像堂バゲット
島たこと新じゃがのサラダ
きゅうりとエノキの台湾漬け
切り干し大根のソムタム風
セイイカとセロリのマリネ レモングラスオイル
出汁巻き玉子
セイイカ揚げ団子 タイ風
新じゃがと四万十青海苔のかき揚げ
白菜と豚バラ肉のミルフィーユ
耶馬溪経産牛のレアカツ
揚げ茄子 おろしたれ
パプア海老と蓮根の真薯揚げ
牡蠣ごはん
北海帆立とえのきのおこわ

香内くんの日本ワイン中心のナチュールに、潤ちゃんの季節の果実のノンアル、オーダー係はその日18歳の誕生日だった水瓶座ボーイの長男、哩来。

宗像堂20周年記念お祝いイベント、無事終了です。

深謝!





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