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「ムシャーマ」
ふたつ返事で波照間行きを決めたのは、「波照間」と「波羅蜜」の字面がなんとなく似ていたせいであるが、いちばんの理由は、市子ちゃんが「ムシャーマ」で三線を弾くというから。
そのためにいっぱい練習をして幾度も島に通った。その熱意の先に興味が湧いた。
そしてもうひとり、波照間に魅せられた絵描きの祐基くんとの再会も果たせそう。
「ムシャーマ」とは、いちねんに一度の島をあげてのお祭り。
豊作と豊漁を願って、その日ばかりは全島民が行事に参加するのでなにもかもが休みになる。
宿すら休業するところをなんとか市子ちゃんが交渉してくれたおかげで野宿をせずに済んだ。(そもそも波照間はキャンプ禁止なのです)
定食屋もカフェもレストランも、共同売店すら開いていない。
なので、食べ物は保存が効くインスタントのものを持参した方がよいよ、というアドバイスに倣い、我が家はひとり2個のカップラーメンとレトルトのお赤飯、ドライフルーツなどをリュックに詰めた。
ちなみにカップラーメンは、カップヌードルトムヤムクン味である。
石垣港から波照間までの渡航は、通称「ゲロ船」と呼ばれるくらいに揺れるのだとか。立て続けに数人からその話を聞いたので、車酔いしがちなわたしはおおいに青ざめた。
「トラベルン」という市販の酔い止めを勧められたが、ふだんめったに薬を飲まないのでそれもそれで薬の副作用に酔いそうでためらう。
結局は開き直って、「なんにもしない」という選択をしたけれど、そんな心配をよそに船はいたって快適であった。
窓からの景色はどこまでも紺碧の大海原。船の波飛沫で魚が浮上するのか、数羽のカツオドリが上空を旋回している。
長女はしばしその鳥の動きに見惚れて、まったく飽きもせずに1時間半の航路を満喫したよう。
「最後の方は十五羽もいたんだよ〜」と、下船するときに嬉しそうに言った。
港には祐基くんが車で迎えに来てくれた。
島でエネルギーをたっぷりチャージしたのか、最後に会ったときよりもうんと元気そうだった。
祐基くんの運転で島をぐるり、「最南端の島のさらに南の果て」という崖に案内してもらう。ビーサンにはきびしい、隆起した凸凹の珊瑚の地面。そこを果敢に突き進んでいく子どもたちの後を追うも、「おかーさん無理しないで」と制された。
多分、危なっかしくて見ていられないのだろう。しばらくして引き返したけれど、その瞬間だけは日本最南端に立つひとりであったと思うとちょっと嬉しい。(南好きとしては)
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当日は祐基くんのお師匠のお宅で、地魚やソーキの料理をご馳走になる。
総勢10人、その人数が座っても余裕のおおきなテーブルを囲んでの宴。
しばらく、女こどもはお先にお暇したけど、お師匠とのゆんたくは深夜まで及んだらしい。
明くる朝、8時くらいに公民館へ自転車で向かう。
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市子ちゃんは徒歩で行く、と少し早めに出かけた。
道の先に市子ちゃんの三線を背負った背中を発見、やがて申し訳ないながらも追い越した。
が、島に知り合いがたくさんいる市子ちゃんは、わたしたちが「お先に〜」と抜かしたはずが、「乗せてもらっちゃったー」と車から颯爽と手を振って、今度はわたしたちを追い越していった。
ああよかった。
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公民館に到着すると、祭りの準備で島のひとたちは忙しなくしていた。
「もしかしたら参加できるかも」とメールで知らされていたので、備えあれば憂なし、指示通り上下は白を着用。
「はいはい、それ着て」
その場を仕切るシャキっとした女性は透明ビニール袋を指差した。なかには農民用の着物。縦縞、格子、チェック。どれもとてもミニマムで粋。
「農民だからねぇ、帯は荒縄でいいね!」
縦縞の着物、腰を縄で一重に結び、頭には祐基のくんの描いた「ムシャーマ」手拭いをほっかむり。
潤ちゃんもきっちゃんも同じく着物を着て、「豆どぅーま」役で行列に参加する。
島の人がお手本で「豆どぅーま」の踊りを見せてくれるも、「はい、こーしてこーして、こう!ね。あとは現場で見ながら覚えて〜」と、すごくざっくりしていて拍子抜けしてしまった。
長女とテラは馬舞者役。末っ子も赤いはっぴをお借りして童役。
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「ムシャーマ」は、西組、東組、前組と三班にわかれてミチヰサネー(仮装行列)をする。
しかし、昨今の人手不足もあって、なかなか人数が揃わない役をわたしたちのような余所者に振ってくれる。そんなおおらかさをありがたく思う。
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みるく(弥勒)さまを先頭に、三線や太鼓、笛の奏者たちがみなを誘導する音を奏でる。後に続くのは、童、老人、漁師、農民、戦士、踊り子・・・・。
他にも鬼や獅子、肌を真っ黒に塗り腰蓑をつけた土着民たちもいる。ボロボロの衣服をまとったブーブザー(道化師)は、列をうろうろ(自由に)徘徊することによって、実は列が乱れないように調整しているのだそう。
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ちなみにわたしたちは西組、祐基くんは東組で獅子をあやす鬼役をやっていた。
みるくさまがみんなを導く先は、パイハティローマ(楽園)である。
誰もとりこぼすことなく(為政者がよく使う常套句だけど)、楽園への道がひらかれているということ。
はじめはあれよあれよいう間に巻き込まれて、そのグルーヴについていくだけで必死だったけれど、祭り独特の熱気と旧盆暦の場の力に引っ張られて、じわりじわりとこころがうずく感覚があった。
輪にまぜてもらったよころび?
多分わたしは長らくのあいだ遠慮していた。遠慮するのはぜんぜん苦じゃないし、そういうもんだと思っていたけど、こうして「いっしょに踊ろうよ」ってあっけらかんと言われると、「え?いいんですか?」って、ほどけるよう。
これまで地域のお祭りにおいて、傍観者&消費者という立場でしか参加してこなかったから。
たこやき屋もやきそば屋もかき氷屋も出ない。観光業全般が止まるので、一般の観光客もほとんどいない。
「ムシャーマ」は、そこに集う人が自分たちの土地の神に捧げる神事。
パイハティローマ!
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