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「きつねに試される」

三日過ぎると、「そんなこともあったなぁ」って、やさしく流せる自分がいる。
そのときは、「うぎゃー!」って叫んで泣けるくらいにショックだったのに、もう全然だいじょうぶ。

というのは三日前、午後に油揚げが届いたのです。とうとう稲荷寿司を拵えようと、わざわざ京都から取り寄せたのでした。
お揚げを煮るのはしょっちゅうだけど、「お稲荷さん」ってほとんど作らない。でも、どーゆーわけか「作らなきゃ」って思い立って。

届いた油揚げは、ふくよかで厚みがあって、美味しい菜種油で揚げてあるから油臭さもなくて、それはそれは「福」を体現しているようでした。
いちまいいちまい、めん棒をコロコロと転がし、口を開く作業。
どどーんと四十枚。
土鍋に放射線状に並べ、鰹節と昆布のお出汁を注ぎ、味醂と酒を注いだら、落とし蓋をしてしばしふつふつ煮る。
四十分経過、しっかり甘みが入っていたら、お醤油加えてまた煮る。煮汁がほとんどなくなったら火から下ろして冷ます。

夕飯はうどんを茹でて、早速きつねうどん。刻んだ葱、玉子。
まだちょっと味が薄いかなーと感じたので、土鍋に戻って味醂と醤油、水少々を足してまた煮込んだのはいいのですが、ここで気が緩み、よりによって「新宿野戦病院」を見始めてしまったのですよ!

焦げた匂いに気付いた、とき遅し。
もう流水で洗うしかない。出汁も味醂も醤油も何もかも、蛇口から水をじゃーじゃー流したところで、パーンと放心。
「あーやっちゃったやっちゃった」
こころのなかは、後悔と自責の念でいっぱいでした。

そんなメンタルで野戦病院の続きを見る気にもなれず、走馬灯のようにお揚げを煮るまでのいとおしいプロセスを回想されるがまま見ていたそのときです。

「おかーさん、なにやってんの?お揚げ、諦めたの?現実逃避しちゃってるじゃん!」と、長女。語気強め。

はっ!っとして目が覚めた。そんなんで諦めたら金輪際「お揚げ好き」なんて名乗れやしない。

じつは長女はキッチンでひとり、上の方のまだ食べられるお揚げを救出していたのでした。瘡蓋が破れないようにが如く、そおっといちまいいちまい。
その数、十五枚あまり。下の方は炭化して鍋底にへばりついてしまっているから、重曹とクエン酸でつけ置き。


わたしは腕まくりして、生き残りお揚げの水気をぎゅーっとしぼり、焦げ臭をとことん流したのでした。
で、はい!もう一度最初からーーーーっ。
って、煮込むしかないでしょ。煮込む一択でしょ、それもつきっきりで!

しっかり濃い目の味付けに仕上がったお揚げは、焦げを取り除いたせいで穴だらけ。稲荷寿司にはきびしいけど、「きつね」(具材)としては活躍してくれるはず。

「今年いちばんのショック」と、そのときは思ったし、かなり凹んだけど、「焦がすことはすでに決まっていた」という、「時間は未来からやってくる」視点でみたら、焦げたことから始まる出来事が急にだいじに思えてきた。

取り急ぎ、土鍋はピッカピカに磨き上げましたとも。



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