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目の前の数字に一喜一憂することはない
ニュージーランドでは、ほとんど毎日午後1時からNZ首相や保健省長官などが会見を開いて、その日の午前9時までに集計された感染確認者などの数字を発表している。
その会見での数字はいろんなメディアで速報され、夕方頃にはほぼNZの人全員が知るところとなる。そしてその数字をめぐって、いろんな人がいろんなことを言う。
「これでオークランドもアラートレベルがLevel 2 になる日も近いだろう」「こんなことで、いつボーダーが開くのだろうか」「いったいみんなきちんとルールを守って生活しているのだろうか」など、職場や学校、そしてSNSなどの会話がにぎわう。
当然、発表された数字から収束に向かっていることを予想できるのであれば人々はホッとするし、そうでなければ、なんだか不安になる。
でも、毎日毎日発表される数字に一喜一憂していると、疲れてくる。それが一桁ならほっとして、30とか40なら不安になる。そんなことを続けていると、精神的に参ってしまう。
毎日の会見が、だんだん連続ドラマかなにかのように感じられて、冷静なデータ分析でさえも、必要以上に感情に訴えられてしまう。そして、毎日の会見をドラマティックに待ちわびて、不安と期待を織り交ぜて、刺激を求めるように見てしまう。
もう、目の前の数字に振り回されるのはやめにするのがいいのだ。
パンデミックなどというものは、ほとんど自分の力の及ばないところで動いている。もちろん、自分の行動に気をつけることで防げることもあるだろう。でも、毎日の感染者数を自分でコントロールすることはできない。
だったら、毎日毎日の数字に一喜一憂することはやめて、自分にできることだけにフォーカスして、あとは神に祈るなり、政府に任せるなり、忘れてしまって自分の生活を楽しむなり、そんなことをすればいいのだ。
パンデミックは自分の生活に無関係だという人はいないだろう。必要な情報を手に入れて、冷静に将来を考えることも必要だ。
でも、日々の数字を見てそのたびに感情を動かされ続けるのは、なにかが違う。
近い将来パンデミックがおさまったとき、今の生活をもう一度振り返って、社会全体に、そして一人ひとりにどんなことが起こっていたのか、振り返ってみるといろんなことが見えてくると思う。