あなたはWho are you? にきちんと答えられるか?
先日Netflix でアメリカのドラマを見ていたら、主人公の女性が、「Who are you?」と知人男性に問われるシーンがあった。
このドラマの肝はまさにそこにあって、果たしてこの主人公の女性はいったい何者なのか?を中心に物語が進んでいく。物語が進んでいくに従って、このミステリアスな主人公のことがだんだんわかってくるという流れだ。
けれど、ふと考えてみると、自分がもし誰かに Who are you? と問われたら、それにきちんと答えられるだろうか、と思う。
この物語で主人公が「Who are you?」と問われたのは、彼女のパスポートがきっかけだった。なんでそんなパスポートを持っているのか?なんでパスポートの名前はそんな名前なのか?
そして彼は彼女に詰問する。
Who are you?
でも、持っているパスポートについて話をしても、それは Who are you? の答えにはならないだろう。国籍と出生地、名前や性別がわかるだけだ。しかも、パスポートを複数持っている人もいるし、それぞれのパスポートに書かれてある名前が少し違う人もいるだろう。そもそも、パスポートに書かれている情報を知ったところで、Who are you? に対する満足な答えにはならない。
だったら、何がわかれば、Who are you? に対するきちんとした答えになるのだろうか?
性別?年齢?職業?住所?趣味?学歴?家族構成?今までの経験?知識?人間関係?収入?住んでいるところ?今いる場所?人に対する感情?ポリシー?身長や体重?
そんなことを説明することが、Who are you? の答えなのだろうか?
違うだろう。
自分の属性や持っているもの、今までの経験や周りにあるものをいくら伝えても、それは、Who are you? の答えにはならない。Who are you? は、もっと根本的な、その人自身のことを聞いているのだから。
そう考えてみると、Who are you? という問いは、誰かが自分にする問いではなくて、あるいは誰かが自分に問う前に、自分が自分自身に問うものなのではないだろうか。
Who am I?
自分は一体何者なのか?
もしかすると、人はその答えを探すために生きているのかもしれない。