幸せになる方法は一つしかない
人の不幸は蜜の味などという。これは脳科学的に正しいなどともいわれる。
確かに、人をうらやんだり、ねたんだりする感情は誰でも持っている。その裏返しで、人の不幸に喜びを感じることもあるかもしれない。
でも、うらやみ、ねたみ、人の不幸に対する喜び、などの感情は、その人の幸せとはまた違う感情だ。人の不幸は蜜の味なのかもしれないけれど、人の不幸が直接自分の幸せになることはない。
それは単なる快感であって、ゆがんだ喜びであって、幸せとは呼べない何かの感情だ。
もっといえば、人の不幸を願う時点でその人は幸せにはなれない。人に対するネガティブな感情は、自分の幸せの感情とは相容れないからだ。そこにネガティブな感情がある限り、幸せとはいえないだろう。
幸せを感じるときには、もっと穏やかで、平和で、調和的で、包容や許容や受容がある。
そうであるならば、自分が幸せになるためには、人も幸せになる必要がある。自分だけが幸せで他の人が不幸などという状況は、根本的に矛盾があるのだ。
逆に言えば、自分の周りの人がすべて幸せであれば、そんな世界で自分ひとり不幸なわけはない。
だったら、人の不幸は蜜の味などということにエネルギーや時間を割かずに、自分の周りの人たち、自分に触れるすべての人たち、そして世界中の人たちが幸せになることを望み、そこを目指して行動するのがいいのではないのか。
そうすることでしか、自分も幸せになれないのだから。