人はみな矛盾している
いい人だなあと思っていた人が悪いことをしたり、いやな人だと思っていた人に魅力的な部分があったり、無口だった人がある日饒舌だったり、いつもきちんとしている人があるときルーズだったりする。
あれっ?この人こんな人だったっけ、と周囲の人は感じる。
でも、その人たちにとっては、実はそれも自分自身だと感じていたり、むしろそれが自分だと思っている。
この人はこんな人だというのは、周囲の人が感じるイメージで、ほんとうにその人のことを的確に表しているものでもない。
そもそも、人間一人の中にもいろんな部分がある。
いい人でも悪いことをするし、いやな人でも当然魅力をもっているし、いつもしゃべらない人がしゃべる日もあるし、きちんとしている人が手を抜くことだってある。
ほんとうは、人間なんて矛盾しているもので、一人の中にいろんな部分があるのだ。
だからその人がイメージに合わないことをしても、それはあたりまえで、その人がもともと持っているある部分が周囲の人の目に触れただけなのだ。
だから逆に言えば、自分が周囲の人から思われているイメージも、自分のある部分が誇張されてとらえられたものに過ぎない。だから、周囲の人が自分に持っているイメージ通りにふるまおうと過度に努力をすると、自分の他の部分が出せなくなって、とてもしんどい。
人は一人の中で矛盾しているものなのだ。それがあたりまえだ。
ある人がイメージと違うことをしても驚く必要はないし、自分のイメージに合うように過度にふるまう必要もない。
もっと言えば、自分の中にあるイメージと違う部分を自分で探して、それを外に出してみるのもいい。自分って、こんな部分もあったのだ。こんなこともできるのだ。
そうやって、周囲の人が自分に抱くイメージを壊していってもいい。そうすることで、楽になることもあるだろう。
一度じっくりと自分の中にある矛盾した自分を見つめてみてもいいと思う。