シリーズ・留学を考える [23] - こんな留学生がいた : プロになったラグビー中学高校留学生たち
弊社の留学生にはラグビー留学生も多いけれど、現在その中の2人が日本でプロのラグビー選手として活躍している。
一人は石森大雄君、もう一人は濱野隼大君だ。
石森大雄君は、2006年からロトルアボーイズハイスクールで3年間のラグビー高校留学を始めた。当時は日本の高校生で3年間ニュージーランドでラグビー高校留学をする人はほとんどいなかったから、彼はパイオニアだ。
到着日にステイ先に会いに行ったことを昨日のことのように覚えている。15歳にしてはとてもしっかりしている人だなあと感じた。
携帯電話もほとんどの人がまだ使ってない時代。親御さんとの連絡は、寮内にある公衆電話のみ。電話がなったら気づいた寮生か先生がとって、呼びに行ってくれる。呼びに行っても、「どこにもいなかったよ」などと言われることもあったし、一台しかない公衆電話が話し中のことも多かったから、日本の親御さんが寮生活の留学生に連絡をとるのはかなり難しかった。
そんな環境で、大雄君はラグビーでめきめきと頭角をあらわした。当時からラグビーアカデミーの授業が行われていたけれど、そのとき指導してくれた人が、現在もロトルアボーイズハイスクールでラグビーアカデミーを担当している、元マオリオールブラックスのRuki Tipunaさんだ。後日大雄君は、「一年目にRukiにきちんと指導してもらったのが、その後のラグビーキャリアに大きな影響を与えたと思う」と言っていた。
2年目の留学が始まって3月にチームが編成された時、大雄君は1st XVに入ることができなかった。1年目の留学で手ごたえを感じていただけに、ショックは大きかったようだ。後で聞いてみると、「2年目のシーズンが始まる前に、1st XVを目指す人たちはみんなしっかりとトレーニングをしてフィットネスも上げて、仕上げてくる。自分は日本に一時帰国してのんびりしすぎたのがよくなかったと思う」と言っていた。
でも留学3年目、みごとに日本人として初めてロトルアボーイズハイスクールの1st XVに入ることができた。当時は、日本のラグビーは強いというイメージが全くなく、その日本から来たというだけで、「ラグビーなどうまくないだろう」という先入観で見られていた。
その偏見を、そのプレッシャーを、そのディスアドバンテージをはねのけて1st XVになったのは、フィジカルなトレーニングを他の選手よりも多くやったのはもちろんのこと、精神的にもとても強かったのだろう。
「夕食後はほとんど毎日一人で学校の周りを走っていました」と後で屈託なく笑顔で話していたけれど、他の人がくつろいでいる時間に一人でトレーニングを続けるのは、とてもしんどかったと思う。
ロトルアボーイズハイスクールを卒業後は、プロラグビー選手を目指してポリテクニックでスポーツを勉強しながら、タウランガのクラブチームでプレーをしていた。2013年にはベイオブプレンティスティーマーズの2軍であるDevelopment にも選ばれ、ベイオブプレンティラグビーユニオンのBest Back 賞を受賞。ラグビー高校留学を始めてから8年目で、プロラグビー選手まであと一歩のところまで来た。
その後彼はイングランドでのセミプロ契約を獲得し、しばらくイングランドでプレーしたあと、今度はオーストラリアに移動してプロとして活躍した。
そして、2018年には日本のホンダヒートとプロ契約、昨年はヤクルトレビンズでプレーし、今度のシーズンは釜石シーウェイブスRFCでプロ選手兼通訳としての契約が決まった。
今はロトルアボーイズハイスクールをはじめとしてニュージーランドにも何人かのラグビー中学高校留学生がいるし、弊社でも今までたくさんのラグビー中学高校留学生がいたけれど、石森大雄君は、パイオニアであり、プロ選手になるという夢をかなえて今もプレーし続けているレジェンドでもある。彼がいたから、その後の留学生も道が開けたと言ってもいいかもしれない。
濱野隼大君は、2015年、中学2年生の日本の夏休みに初めて短期でラグビー中学高校留学にきて、公式戦の試合の最後10分間に出場。15メートルのスクリューパスを見事に味方につなぎ、トライも決める大活躍をした。それを見たコーチ陣が「是非長期で留学に来てほしい」と言い、隼大君は2016年、中学2年生の3学期から4年間、ロトルアボーイズハイスクールでラグビー中学高校留学をした。
初年度は期待されていただけにプレッシャーも大きかっただろうけれど、順調に実力を伸ばしていった。留学2年目には1st XVの練習に参加するようになり、ベイオブプレンティ地域のU16代表にも選出された。試合を観にいくと私と目が合ったコーチが、「隼大は日本人初のオールブラックスになる選手だよ!」とにっこり笑って言った。学校だけではなく、地域代表としても大きな期待をかけられていた。
4年間の留学中は、怪我で手術をしたり、実力がありながらも思ったように練習や試合に参加できなかったこともあった。けれど、最終学年には、スーパーラグビーのチーフスのU18に選ばれた。ベイオブプレンティやカンタベリーなどの地方のラグビーユニオン地域で代表に選ばれる高校生は何人か今までもいたけれど、スーパーラグビーレベルでU18代表に選ばれるのは、日本人高校留学生としては快挙だ。ニュージーランド全国でもわずか250名の超トップレベルの高校生ラガーマン達だ。
しかも隼大君は、Year 13のときに学校のプリフェクトに選ばれ、リーダーとしての資質も身に着けていった。現地生徒でもプリフェクトに選ばれるのは難しいのに、留学生が学校代表のリーダーになるのは、単にラグビーができるだけではないという証拠だ。人柄もあるだろうし、先生の信頼もあるだろう。そして投票で決まるプリフェクトは、生徒たちからの人気も高くないとなれない。
そのうえ隼大君は、学校の成績もトップクラスで、優秀な成績を常におさめていた。高校卒業後はニュージーランドの大学進学も一つの選択肢に入れていたけれど、ワイカト大学で成績優秀者としてスカラシップを授与される資格も得ている。
ラグビー中学高校留学生の中には、ラグビーは優れているけれど、勉強はあまりできない人も多い。私は、一つ何かができればそれで十分だと思うし、以前にも書いたけれど、留学生は留学しているだけですごいのだ。プラスでラグビーで活躍できればそれで十分だろう。
でも隼大君は、ラグビーでも活躍し、プリフェクトにもなり、成績も優秀で、しかも人柄も優れている。そんな留学生はめったにいない。
普段の彼は、口数は多くなく、物静かで、いつもニコニコしている、おだやかな人物だ。でも、一旦ラグビージャージに着替えてグラウンドに出ると、内に秘めた闘志をむき出しにして相手に向かって行く、強い精神力の持ち主だ。
そんな隼大君は、ロトルアボーイズハイスクールを卒業後すぐに、神戸製鋼コベルコスティーラーズとプロ契約をした。トップリーグに興味のある方はご存じだと思うけれど、高校卒業後すぐにトップリーグに入団し、しかもプロ契約をする選手はほとんどいない。
しかも隼大君は、今年3月には、日本代表チームの一つであるジュニアジャパンにチーム最年少で選ばれた。
まだ19歳の濱野隼大君。これからトップリーグで実力をさらに伸ばし、将来は日本のラグビー界で、また世界のラグビー界で大活躍する日がくると思う。
この二人の留学後の人生を見ていると、ニュージーランドで中学高校留学をしなければ成しえなかったことを成し、留学で人生を大きく変えたことがわかる。
釜石シーウェイブスRFCの石森大雄君、神戸製鋼コベルコスティーラーズの濱野隼大君。これからも是非応援してください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?