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8月の民藝

 最近あんまり文章を書いていないので駄文になってしまうのだろうけど、とりあえず覚えておきたいことを書いていこうかと思う。だって、なんだって、年齢とともにすぐに忘れてしまうことが多く、せっかくインプットしても忘れてしまったら意味がないので、昔のブログでつらつらと書いていた感じだったけれど、noteは覚え書きです。

 六本木でアフロ民藝という展示がありました。外側から見た民藝。黒人コミュニティーから見た民藝。とても面白く観ました。自分の感覚に少し似ている部分もあったり、反発する文化であったり。同時に、すごく嫌な気分になりました。DJブースの設置られた展示スペースは、文脈はわかるけど、見せ方がちょっと直接的すぎるのではと思いました。

 民藝ブームにはうまく乗れてないのか、乗れているのか?良い点と悪い点がある運動なのは確かだし、流行ると何かねとなってしまう性格。
 民藝に興味を持ったのは、芹沢銈介のカレンダーがきっかけだった気がする。益子の濱田庄司の記念館に行ってみたり、京都の梶井寛次郎の家に行ってみたり、民藝展に行ってみたり、、、。
 何よりも民藝を通して良かったことは、陶器をみる眼が形成されてきたことかと思います。特に李朝の壺や花瓶の良さなんて、全くわからなかったのに。
 台湾の故宮美術館には2度訪れているのですが、1度目は全くよくわからなかったのですが、10年後2度目の再訪では震えるぐらい良かった。


 昔、古美術やらどのような印象を持っていたかというと、育てられ方なのだろうけど、わざわざ古いもの買わんでも、新品でいいやんって思っていました。90年代、青春時代?古着ブームのおかげでオリジナルの良さに気付かされたのが良かったと思います。なかなかオリジナルを越えれない。
民藝って、いったい何なのでしょうね?
 民藝運動は意義のある運動であったことは確かです。しかし、民藝こそが正義という志があったのだと思いますが、少し強引な印象はあります。過激なのかなあと。それぐらい失われていく文化を守るために必死だったということでしょうけど。

 noteのこともよくわかっていないけれど、とりあえず、気ままに毎週更新できればとは思っています。多分、頭の中を整理するためのものという位置付けです。暇つぶしの中に真実があると熱く夜中のロイヤルホストで語っていた高校時代の親友の言葉を思い出した。

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