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高三の夏、千円持って北海道の最北端までヒッチハイクで行った話。①
相変わらず暇なので部屋の掃除をちょくちょくしているのですが、ロフトの荷物を全部下に下ろしたところで完全に飽きてしまいました。
今一番汚い状態。すんごい物が密集してる。ビレバンみたいな感じ。ビレバンみたいな感じ??狭いとこに色んな物があるってこと。
部屋の掃除をしてると色んなものを発見します。
無くしてたと思ってたマイナンバーカードとか、昔のネタ帳とかエロ本とか。
暇なので昔書いたノートをひらひらと見てると年号と日付と沢山の名前が書いてあるものを発見。
かなり見覚えのあるノート。
僕が高三の夏休みにヒッチハイクをした時、関わってくれた方々にサインをいただいたもの。
懐かしい。
僕の高校生活は野球部一色。
野球一色っていってもめちゃくちゃ野球頑張ってたってわけではなく、勉強も恋愛もほとんどしなかったがゆえの野球一色。
テストはバツばっかり。たまに丸があると思ったら点数。
恋愛もダメ。
野球はそこそこ。
そんな中途半端な僕には一つの夢がありました。
「めちゃんこモテる。」
実にテストで0点取りまくるような奴が持つ夢。
僕の高校はバスケ部が全国大会に行くぐらい強く、学校に「バスケ部マジック」という言葉があったくらいバスケ部がモテてた。
サッカー部はシンプルにイケメンが多くてモテてた。
野球部、特に僕の代、その中でも僕は全くモテてなかった。
女の子達から坊主頭を可愛いとよく撫でられていた事が唯一の救い。
そんな学園生活を送っていたからなのか、気づけば「めちゃんこモテる。」という事が夢になってました。
どうしたらモテるか小さい脳で考えた結果「芸人になる」にたどり着いた。
たどり着いたのが確か高三の5月ごろ。
なんかの資料で一般人がモデルさんやタレントさんと結婚できる確率は隕石が頭に落ちて死ぬ確率とおんなじくらいと書いてあって、じゃー、自分がタレントになればいいじゃんというだいぶ浅はかな考え。
芸人になると決めたは良いものの、なにをすれば良いのかがよく分からず、このままだと夏休みバイトだけして終わりそうだな、どーしよーかなーと、ダラダラ音楽聴いたりドラマやYouTubeを観ながら考えてた。
当時よく聴いてたのがナオトインティライミ、ディーンフジオカかっこいいなーとか思いながら「ダメな私に恋してください」というドラマも見てて、ジョーブログのYouTubeにハマってて。
あれ?
3つの共通点。
3人とも旅してる。
夏休み旅しよ。
お金はないから海外は無理だし、国内にしよう。
夏暑いから涼しいとこ行こう、北海道だな。
芸人になるんだし色々エピソードとか出来そうなほうがいいな、ヒッチハイクで行こう。せっかくだから最北端まで行こう。
手始めにまず親に芸人になる事を報告。
「えーー!あら、頑張ってよー」
めちゃんこ拍子抜け。元々母親は女優をやっていたからなのかすぐに賛成してくれて、なにに関しても無関心な父親はやってみればって感じ。
その様子を見ていた弟がおれも芸人になろっかなーといった瞬間両親がやめてくれと言っていた。
僕の弟、身長は僕より高いし偏差値30くらい違うし、将来有望な為、安定した道に進んで欲しかったのだろう。
僕よりだいぶ期待されていたみたい。
実家の寝室、僕は布団だったけど弟ベットだったし。なんじゃそりゃだよ。
完全に余談だけど野球が強い高校に行ってた弟は高二夏の大会でサヨナラヒットを放ち、なんかすぐに可愛い彼女が出来たんだってさ。
兄の僕は夏大ノーヒットだよ。なんでー?
二番バッターらしく送りバントちゃんと決めたけどさ、バントじゃもてねーんだよ。
そして夏休みヒッチハイクで最北端まで行く事も報告するとこちらはうってかわって母親から猛反対され、父親はどーせ無理、たぶんお前は群馬あたりで帰ってくる、成功したら10万やると言われた。
父親の発言にかなりムカついたので契約書を書かせた。成功したら10万渡しますと。
父親は別に旅自体は否定してなくて、僕の強い押しあってか母親も心配しながらだがなんとか許してくれた。
僕が芸人になる事、そして夏休みにヒッチハイクでの旅が決定した。
そこからは高校で喋りまくった。おれ、ヒッチハイクするんだぜ?って。
女の子に聞こえるようにちょっと大きめな声で言ってたような記憶もある。
当時ちょうどポケモンGOが流行りだした時期だったからみんなに「おれ、ちょっとポケモンマスターになってくるわ」とか言ってたような気もする。
そんなこんなで高校生活も流れていき、部活も夏大で敗れ、小2から11年間やってた野球生活が終わった。
寂しさもあったけど、僕はドキドキしてた。
みんなこっから受験勉強だ、就活だって落ち込む中、僕はウキウキしてた。
「坊主じゃなくなるしヒッチハイクもするし、おれモテモテじゃん」
そんなことばっか考えてた。
母親は相変わらず心配をしてくれてたので旅の費用としていくらかくれた。
よーし、そろそろ旅の準備をしよう。
えっと暇な時撮影とかもしたいからスマホを立てるスタンド。自撮り棒。日本地図。スケッチブック、、、、、
色々買って気づけばお金は1000円になってた。
やべ、もー引き返せねー。
なーなんとかなるっしょ。
アホってすげーだろ?
スマホ立てるスタンドとか旅中一回も出番なかったんだぜ?
中学の友達に7月26日西武ドームでプロ野球観戦を誘われたのでそれを見てからヒッチハイクをしようと決めた。
地元が神奈川だからちょっと北海道近くなるけど、そんくらいは許してよ。
7月26日旅出発当日を迎える。
大量の荷物を持っていたがちょっと遊びに行ってくる感覚でスパッと家を出た。
いつもより胸は張っていたような気をする。
かなりドキドキしてた。プロ野球の試合もあまり集中できなかった。
ナイトゲームが終わり、友達を駅まで見送った。
おまえ千円しか持ってないんだから一回帰ってから行けよとか死ぬなよとか頑張れとか色んなこと言われた。
とにかく応援してくれてる感じは伝わってきて素直に嬉しかった。ちょっと涙目になってたかも。
「ちょっとポケモンマスターになってくるわ」
ビビりながらもカッコつけてそんな事を言ったのを覚えてます。
2016年7月26日高三の夏、現金1000円、大きな荷物と大きな希望を持ち、夜の10時すぎ、小雨の降る中、埼玉のド田舎で僕の旅は始まりました。
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