【きちnote】保護者と指導者は敵対するものではない。ともに子どもたちが育つ環境を作り出すための大事な同志だ。
「ちょっと、キチ。話があるんだ」
ドイツで暮らすようになって20年。サッカーの育成指導者として様々なクラブのいろんな年代の異なるレベルのチームで監督を歴任してきているわけだけど、こんな風に選手の親御さんから声をかけられることがとても多い。
そしてこういう声のかけられ方をするときはたいてい息子の出場機会についてがテーマだ。
「この前の試合だけど、そこまで悪い出来じゃなかったと思ったんだけど、ほかの子より出場時間が短かったよね。なんでなんだい?」
ドイツではダイレクトなコミュニケーションをとるのが一般的だから、例えばこんな感じで聞かれる。ドイツに来たばかりのころはそうしたアプローチに戸惑うこともあったが、今ではすっかり慣れている。裏で変な噂を立てられたりしないので逆にやりやすいとも思う。
こちらは言葉を選びながら丁寧に辛抱強く説明をすることにしている。
「彼のプレーは悪くなかったよ。パフォーマンスどうこうで下げたわけじゃないんだ。あの日ベンチに入っていた選手には彼と同じポジションで試してみたい選手もいたんだ。だからバランスを見ながらあのタイミングで交代をしたんだ。あとほかの選手との出場時間の兼ね合いというのも理由。この前の試合では他の選手よりも長めに出場していたでしょ?僕らは1試合だけの流れで出場時間を決めているわけじゃないんだ。心配しないで。シーズンを通してちゃんと十分な出場時間になるようにこっちも気を配るから」
そんな風に論理だって話すと基本的にみんな理解を示してくれる。
「そうか、それならいいんだ。やっぱり我が子のプレーというのは気になるんだよね」
そう言って苦笑いしたりする。その気持ちは僕だってよくわかる。
自分の息子があまり出れなかったり、出ていてもあまりプレーに関与できないでいるとやっぱり落ち着かない。何か言いたくなる。そこでぐっと言葉を飲み込もうとする。でも言葉だけ飲み込んでも気持ちまでは呑み込めないから顔色に出てしまったりする。そんな失敗を何度も何度も繰り返してきた。
そんな親としての感情は、指導者として彼ら両親と向き合うときに一つの共通理解をつなぐための大事な要素となったりもする。
「そうだよな。キチも親としてみるときはそうなんだな」
そんなふうに親近感を持ってくれたりする。
でもだからといってそっちに気持ちを寄せすぎるとチームマネージメントはうまくいかない。親の気持ちのために指導者が子供の出場時間を操作するわけではないのだから。
子供たちの成長段階、チーム全体のメンバー構成、これから先の将来設計。
いろんな要素を考慮しながらメンバーを決めるし、出場メンバーを選び出すし、選手交代を準備していく。
選手の出場時間を確保するためにというのを理由に、試合の流れを度外視したりはしない。その日すごい好調で、ピッチ上で躍動している選手はできる限り長く起用してあげたほうが、間違いなく成長につながる。
そのあたりのバランス感覚を育成指導者は磨いていかないといけない。
そしてそのプロセスで大事なのは両親とのコミュニケーションだと思うのだ。
正しく明確にこちらの意図を伝えるためには、チーム作りに対する自分の哲学、選手起用に対するチームのコンセプト、それをやり遂げるための明確な線引きを相手にわかる言葉で伝えられなければならない。
両親はだれだって我が子のためにと思って僕のところに話をしにくる。その言葉にはちゃんと耳を傾けないといけないし、そうすることでピッチ上で走らない選手の姿を目にすることができるのだ。
僕らは、子どもという存在を自分たちの関っている側面からしか見ようとしないことが多い。
サッカー指導者は選手として。
学校の先生は学生として。
そして親は息子・娘として。
でもみんなそれぞれの居場所で違う顔を持っているんだ。そうした様々な姿を知ることは大切だし、どの要素もその子がその子であるために欠かせないものなのだ。
チーム一丸という言葉で僕らはまとまろうとするけど、そのチームの中には指導者と保護者が一緒にいないとうまくいかない。選手だけ頑張ったって、指導者だけが燃え上がったって、一部の保護者だけがあたふたしたってうまくはいかない。
指導者と保護者は上下関係にあるわけでもないし、対峙するわけでもない。子どもたちがしっかりと育っていく環境を作り出すための大事な同志なんだ。
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