大恩ある、親愛なるドイツサッカーに関わるみなさんへ。今日僕らは本気でドイツ代表に勝つつもりで挑むよ。
ドイツに渡ったのが2001年4月2日。
あれから20年以上が過ぎている。それなりに長い時間だ。
僕は、ドイツで本当の意味でサッカーと出会った。サッカーを始めたのは日本。高校サッカー部の門をたたいた。それなりに楽しい時間だったと思う。公式戦には出られなかったけど。
それでもそれが部活であり、スポーツの世界では当たり前のことなんだと思っていた。経験者の先輩や同期、後輩には勝てなかった。それだけのことなんだと。
公式戦には出られなかったけど、練習は嫌いじゃなかった。走りは嫌だったけど、それが大事だし、僕を成長させてくれるものだと思っていたから。
ドイツに来るまではそれが僕の常識。
疑うことなく自分の中にあった真実。
でも、ドイツのサッカーを知って変わってきた。それはプレーに関してじゃない。サッカーというスポーツ、スポーツというつながりが、日本のそれとは全く違っていたから。
最初はドイツサッカーのきれいなところばかりしか見ていない。それはよくある話。いざドイツにきてみたら、ドイツにだっていやな面や改善したほうがあるところもたくさんある。僕だって悲しい思いや憤りに苦しむことだって何度もある。
でも、それ以上に衝撃的なまでに僕を助けてくれる人たちがたくさんいた。
指導者としていろんなことを学びたいと思ってドイツに渡った。プロ指導者になることを目標にするんじゃなくて、グラスルーツにおけるサッカーの立ち位置を知って、地域に密着しているクラブの中でプレーをして、指導者をして、クラブの中で成長していく子どもたちと密接に関わって、サッカーが持つ、スポーツが持つ本当の意味と意義を本質的なところから知りたいと思ったから。
いろんな人と出会ってきた。
いろんなクラブでプレーをした。
いろんなクラブで指導者をした。
ブンデスリーガとはかけ離れた8部から10部というグラスルーツサッカーでプレーをし続けて、40歳手前で競技サッカープレーヤーとして引退するまでずっと、ずっと、ずっとサッカーが楽しくてしょうがなかった。
試合に負けて悔しくて腹立たしくて、仲間に当たったこともある。監督の采配に納得がいかなくて、試合後激しい口調でディスカッションしたこともある。気持ちの整理がつかなくて、大人げないってわかっていながら、さっさと着替えて挨拶もせずに帰ったこともある。
気持ちが落ち着いて、「やりすぎたと思う。ごめん」って次の練習の時に話したら、みんな笑って許してくれた。その日は僕の言動をいじられた。愛のあるいじりだって感じていた。ビールをおごってくれた。
監督やコーチとも普通に話ができる環境が僕にとって当たり前になっていった。わからないことがあったら聞く。おかしいと思ったらおかしいと言う。そんな僕の声に真剣に答えてくれる彼らがいた。
日本で僕はだれかに褒められたことなんてほとんどなかったと思う。だから僕は自分で自分をほめようとしていたことがたくさんある。みんなの前で自分の良さを口に出していくことだってあった。「このポジションで、こんなプレーをしたいし、俺にはできる」という要求をしたこともある。
「お前じゃ無理だ」って、誰も同意してくれないことの方が多かった。
それもわかる。そうなのかもしれないんだろう。
でもドイツでは仲間も監督・コーチも、僕を一人の人間として、一人の選手として認めてくれた。みんなの前で褒めてくれることもあった。プレー面でも、練習に対する姿勢でも、人間性の面でも。あ、すぐに落ち込んだり、下を向くことに関してはしょっちゅう指摘されていたけど。
遠く日本からサッカーの本質と向き合いたいとドイツへ来た僕を仲間として受け止めてくれて、リスペクトをしてくれて、支えてくれて、イーブンに扱ってくれて。
「公式戦に出たことがなかった」という話は驚きをもって受け止められた。そんな子供たちがまだまだ日本にはたくさんいるという話に怒りを覚えるドイツ人の指導者達がたくさんいた。サッカーはそんなものじゃないって多くの人が僕に伝えてくれた。
そうなんだ、サッカーってそんなもんじゃない。
スポーツだからどんな試合だって本気で勝ちを目指したい。
そのためにどうしたらいいかってみんなで真剣に考える。
そのために準備をするし、そのために試合に挑む。
それがないと夢中になんてなれない。
でもだからといってうまい選手だけが出場できるという仕組みは間違っている。サッカーは、スポーツは、サッカーが、スポーツが好きなみんなのものだっていう根源的で、本質的なことを教えてもらった。
サッカーを好きな子たちがみんな本気でサッカーと向き合える環境を作ることが大事なんだって。
上手くないから試合に出られないという方程式はおかしくて、まだそこまでではないからこそ試合に出てサッカーを知って、うまくなってという方程式を考える方が大事なんだって。
指導者としてドイツで20年過ごしてきて、そんな当たり前とずっと向き合い続けることができたのはきっと幸せなことなんだ。
息子が全然試合に使ってもらえないことがあった。起用法にも、起用時間にも納得がいかない。監督とコーチに連絡を取って話し合いをする時間を取ってもらった。どんな風に思っているのか、プランしているのか、要因はどこにあったのかを彼らは正直に話してくれた。
監督からは「連絡をくれてありがとう。こうやってオープンに話せるのが一番だ。一番ダメなのは隠れてこそこそ文句を言ったり、こちらが知らないうちにサッカーへの興味がなくなることだから」と最後にぼくに伝えてくれた。
僕が知り合ってきたフライブルク地方の育成指導者のほとんどはお父さんコーチ。でも子供たちの出場機会、時間に細心の注意を払っている人たちばかりだった。試合に出られないのはしょうがない、という人を僕は知らない。
ドイツで僕はサッカーにおいて大事な様々なベースを知った。
そしていまもまだ僕はドイツで暮らしている。
ドイツサッカーに助けられて、救われて、学んで、教わって、成長の糧をもらった僕にとって、ドイツは大恩ある存在だ。大好きだ。普段はドイツ代表を心から応援している。
今大会、ドイツと日本が対戦すると知って興奮したし、でも一方で複雑な思いもあった。どっちをどんなふうに応援したらいいんだろう、って。
そんな僕の気持ちを払拭してくれたのはヨーロッパで戦う日本代表戦士のみんなだった。取材活動を行う中で、彼らの思いに触れ、彼らの戦いに熱くなり、彼らの涙に胸を締め付けられた。
吉田麻也が語った「ワールドカップですし、ドイツとかスペイン、そんな国とやれるチャンス、ガチンコでやれるチャンスはめったにない。楽しみましょうね」ということ言葉が響いた。
フライブルクで躍動する堂安律がミックスゾーンで「カタールにきます?」と聞いてくれた時、行けないことを本当に残念だと思った。
岡崎慎司に「ドイツ代表メンバー発表記者会見、日本人記者一人だったんですよね。すごいですね」と言ってもらえたのは素直にうれしかったし、「『メンバー発表でサプライズがあるとしたら、自分なんじゃないか』って。だからなんか自分でもびっくりしました。自分は、こんなに自分に期待してたんだなって」という話からは現役選手みんながどれほどW杯出場を渇望しているかを改めて感じ入った。
そしてW杯で重要な役割を担える選手になるためにと原口元気が戦い続けていた足跡を少なからず知っているから、最後の最後でメンバーに入れなかったことは僕にとってもショックだったし、それでも前を向いて次に向けて歩こうとしている彼の姿は本当にかっこいいと思った。
ブンデスリーガ中断前最後の取材がフライブルク対ウニオン・ベルリンだった。原口も堂安もともにスタメン出場。ただ明暗は残酷なほどくっきり。チームとしての状態の良しあしがあまりにもはっきりと出てしまった。2アシストとと結果も残した堂安に対して、原口は一人退場者を出したチームで奮闘したものの60分に途中交代。悔しくないはずがない。
それでも原口は試合後堂安とピッチで、そしてミックスゾーンで話し込んでいた。何を話していたかはわからない。そうやって思いはつながっていくのだと思う。
W杯優勝歴4度のドイツ相手にガチンコで試合ができる機会なんてそうはない。どれだけ準備をして、対策をしても、それが試合当日すべてうまくいくかはわからない。
故デットマール・クラマーさんがいっていた。
「僕らは勝ちたいし、そのために準備をしてきた。だが相手だって勝ちたいし、そのために準備をしてきている。自分達のすべてを出そう。そしてすべてがうまくいくことを祈ろう」
そういうことなのだ。それがサッカーであり、それがワールドカップだ。
W杯での勝敗と、その国のサッカーの充実さはまた別の問題だ。
日本が勝ったら素晴らしい。本当に誇らしい。でもそれで日本サッカーがこれでもう大丈夫というわけではない。サッカーとしてのあり方、スポーツとしてのあり方は、まだまだまだまだ問題が山積みなことを忘れてはならないのだから。
でもひとまずそこは度外視して、この世紀の一戦を楽しもうではないか。
月曜日の練習で子どもたちが笑顔で話かけてきた。
「水曜日はいよいよ日本とドイツの試合だね。負けないよ」
「どっちが勝っても恨みっこなしだ。日本が勝つよ」
こんな会話ができる機会は今回が最初で最後なのか。それともこれから頻繁に起こることなのか。それはわからない。
だから、次回の対戦が楽しみになるような一戦を期待したい。
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