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山下恵実「劇場祭について」

「ここ」と「そこ」の接続を生むことについて


2020年5月上旬に、『吉祥寺からっぽの劇場祭』への参加が決まった。
緊急事態宣言が発令されたのが2020年4月7日、解除されたのが5月25日(※東京都の場合)、つまり新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言の真っ最中にこの劇場祭への参加を決めたことになる。
この時点ではまだ劇場祭期間の7月23日~8月9日までに、観客を劇場に呼べるのか否か、そもそも世の中がどのような状況になっているのか、全く予測がつかなかった。ただ、有観客での上演を行えたとしても、観客数は極小人数に絞ることになるだろうということは想像できた。
そのような「集まることが出来ない」状況の中で、どのようにしてつくり手と観客とが接続し関係を生み出していくことが出来るのかを、改めて考える機会にしたいと思い、劇場祭への参加を決めた。

これまでの自身の作品創作では身体の感覚を共有することで客席と舞台上の接続を生むつくり方をしてきたし、それが出来るから演劇やダンスというメディアを選択してきた。
ではオンラインでの映像配信の場合、どのようにして「ここ」と「どこか」を接続することが出来るだろうか。
もちろんオンライン配信での画面越しでも、その身体感覚を共有する方法を探ることも出来たかもしれないが、今回はそこに注力するよりも、別の接続方法を試みたいと思った。
場を共有しなくても、遠く離れていても繋がることのできるものは何か。

そこで、観客からできるだけ多くの言葉を集め、そこから作品を立ち上げていくことにした。作品創作プロセスの重要な一部に参加してもらうことで生まれる、つくり手と観客の間の双方向のやり取りから、観客が作品と接続しているという感覚を持つこと、距離を縮めようとするのではなく、距離を持ったまま作品と観客、作品と生活が繋がる方法を考えるために『(in)visible voices-目にみえない、みえる声たち』の企画を立ち上げた。


『(in)visible voices -目にみえない、みえる声たち- 』について

この作品は、3つのテーマに沿ったハッシュタグから発想した言葉をTwitterとgoogleフォームを用いて集め、集まった言葉への応答として、ダンサー/俳優、詩人、画家による上演が日毎に行われた。吉祥寺シアターの屋上、踊り場、劇場、都市回廊、劇場前の道路など上演ごとに場所を変えて、youtube liveまたはツイキャスを使用して映像配信された。現在アーカイブは全て吉祥寺シアターのyoutubeアカウントから観ることができる。

Twitterとgoogleフォームで言葉を集めるために使ったハッシュタグは
#不自由さを感じた出来事や体験
#わたしが思ういい未来
#忘れられない匂いとその記憶
の3つ。

現在の不自由と、未来への期待、過去の記憶というそれぞれ異なる時間の中での思いを募集した。有難いことに、3つ全ての投稿を合わせて100件近くの投稿を頂くことができた。
言葉を集めた経緯としては、先に書いた観客と作品の双方向の繋がりを生みたかったことに加え、私以外の人が今どんなことを感じ、考えているのかを知りたいという私自身の純粋な興味が挙げられる。
Twitterを眺めると処理しきれないくらい沢山の言葉が毎日投稿され、話題になるトピックがいくつも持ち上がっては翌日には忘れられていく。特に緊急事態宣言下の自粛期間中はこれまで以上に多くのハッシュタグムーブメントが起きていた印象があるが、それさえも数日後には殆ど誰も話題にしなくなっていった。作品の立ち上げ当初、そのような後に残らずに流れていくものに対して、何かアプローチできないかというようなことを考えていたことを記憶している。
コロナ禍の実態や状況を記録することは専門家ではない私には出来ないが、今この時に人々が何を考え、感じていたのかを作品として遺すことは芸術のひとつの役割としてできることかもしれないとも考えている。

こうして集まった言葉は、アーティストの室旬子さん、詩人の永方佑樹さん、ダンサー/俳優の藤瀬のりこさん、そして企画者であり振付家/演出家の山下恵実と撮影の和久井幸一さんによって上演日毎に作品として立ち上げられ、映像配信された。
無観客でのオンライン配信に踏み切ったこと、「オンライン演劇」という枠組みではなく多様なアーティストとコラボレーションして作品を発表したことにもいくつかの理由がある。
オンライン配信などを使った演劇やダンスの上演は、劇場祭への参加が決まった時点で既に、国内外問わずかなり多くの団体や個人によって日々行われており、素晴らしい発明も沢山生まれてきていたように思う。ただ、この劇場祭に参加するにあたって私は、生の舞台作品の代替としてのオンライン演劇やダンスではなく、「舞台」「演劇」「ダンス」などの枠組みにとらわれない作品発表のかたちを模索していきたいと考えていた。以前から私は作品毎に、テーマや問いを投げかけるために最適なメディアは何かを考えた結果たまたま「演劇」や「ダンス」を選択していた、という活動の仕方をしてきた。その考え方は今回においても同様で、「離れた距離を持ったまま作品と観客の生活を接続する」ことを作品を通して考える上で適したメディアは何かを考えた結果、それぞれの生活している場所から作品を観ることができる映像配信という上演形式をとることを選択した。
また集まった言葉に対して、私1人の考えや見ている景色を共有するのではなく、多種多様な捉え方や表現方法があること、いつでもどこでも誰でも自分自身のやり方で上演可能であることを作品を通して提示し、個人が作品と接続できる可能性を広げるために異なる活動をしている3人のアーティストに出演をお願いした。(※アーカイブを全て観ていただくと分かると思うが、
全て『(in)visible voices-目にみえない、みえる声たち-』というタイトルに集約された作品でありながらそれぞれ全く異なる作品として成立している)。

人々が何に不自由を感じ、どんな未来を望んでいたのか、(Twitterとgoogleフォームのみを用いて集めた言葉であるためかなり限定的なものではあるが)今この時代の人々の感情のアーカイブの一部として、そして誰かの生活と接続しているものとして存在することが、『(in)visible voices-目にみえない、みえる声たち-』を発表する上で目指していた大きな軸である。


開かれた場をつくること

この劇場祭について情報のわかりにくさ、開かれていなさなどいくつかの指摘を頂いた。それについては私自身も認識していたところではあり、自身の至らなさを反省している。
私自身としても、劇場祭全体としても、見通しが甘かったこと、コミュニケーションが十分に取れていなかった部分があることは否定できないように思う。
主なメディアとしてオンラインで開催することを余儀なくされ、あらゆることに対してこれまでとは違う方法を考え実践しなければならないという非常に困難な状況であったが、だからこそ劇場の機能とは何か、今一度それぞれが問い直し、そのうえでひとつひとつ丁寧に対話を重ねていくことが、私たちにとって必要だったのかもしれない。
本来都市においての広場としてあるべき「劇場」。そのフェスティバルである「劇場祭」が、開かれた場として機能しきれなかったことについて、引き続き深く考え、今後に繋げていきたいと思う。
このような反省点ももちろんあるが、今この状況で、劇場を使って何が出来るのか、その実験の場と機会を提供して下さり、困難な状況の中で我々アーティストがやりたいことを最大限に尊重して実現の可能性を共に考えて下さった吉祥寺シアターとスタッフの皆さまに深く感謝している。
最後にこの場をお借りして、関わってくださった全てのスタッフ、アーティスト、協働者、参加者の皆さまとプログラムをご覧下さった皆さまに深く御礼を申し上げます。また、今後とも私たち参加アーティストの活動を見守っていただけますと幸いです。

山下恵実

いただいたサポートは会期中、劇場内に設置された賽銭箱に奉納されます。