見出し画像

主張がなくとも書いてよかったのよね、という気持ちで書いた雑記

近頃テキストが苦手になり(何かについてまとめようとすると混乱する)、noteにまったく手が届かなかった。。とはいえ年明けに年始の旅について書いたっきり2024年が終わってしまうのはイヤすぎるので、苦肉の策ではありますが、近ごろのことをつらつらと書いてみることにしました(来年はもっと頻繁に更新したい、、)。

------

・先週はマンガ『ヘテロゲニア リンギスティコ ~異種族言語学入門~』を2周した。以前読んでいたものの、途中で停滞していたことを思い出し、第1話から読み直す。
サブタイトルの通り、異種族間の言語コミュニケーションを描いたもので、ここでの「異種族」とは我々のような「人間」と、作中でいう「魔物」たちのこと。魔物はざっくり言ってしまうと動物のような姿をしていて、それぞれ彼ら特有の言語を持つ。それには発話されるものでないものもあり、時には絵画のような描写だったり、動きだったり、リズムだったりする。
種族により何に重きを置くかが異なるため、たとえば犬に似たワーウルフという種族は発話する言語を持ちはするけれど(人間からは鳴き声にしか聞こえないよう)、相手への理解はもっぱら「匂い」をあてにしている模様。言葉を交わさずとも近くにいればその人の匂いで、何をしていたか、どんな気分なのかがわかるとのこと。なので彼らは無言でいることが多い。それを前にして研究者である主人公(人間)は、「なんでみんなこんなに無言なの…冷め切った種族!?」と狼狽える。
ここを読んで、私は「人もそれぞれ何が大きな意味を持つかは違うよな」と思った。

・というのには同じく先週、吉祥寺マンダラ2にてサークルの後輩のバンドのライブを見たことが関係している。
その演奏をはじめ、対バンの方々もとても素敵で……楽器というのはそれを奏でる人にとっては第二の体であり、もう一つの言語であるのかもと思ったのです(私はまだまだその域にはほど遠いのです)。
彼女や彼らは楽器を用いてまさに表現していて、それはとても美しく眩しかったし、私の知り得ない未知の世界としてとても魅力的だった。
それを前提にすると、言葉によるコミュニケーションよりも、音楽のほうが意味を持つという人がいるであろうということは、容易に想像がつく。
誰かとの関係性を考えたとき、私が見ていることと彼女や彼が見ていることはまったく違う可能性があるよなとあらためて思い知ったのです。

------

・お笑いコンビ、紅しょうがにハマりまくっており、ツッコミの稲田さんは1日の酒量が2リットルになるよう調整しているとのこと(数年前の発言なので、今どうなのかは不明)。
最近いくらなんでもお酒飲み過ぎでは?と思っていたけれど、自宅での一人飲みで2リットルを超すことはなかなかないため、自分もまだまだだなと思った。

・人が「倫理」とか「道徳」とか、均した言葉で呼ぼうとするものを、それぞれの人の「美学」と言い換えてみたらどうなるかな、と思っています。

・冬の部屋着を出したら、去年の柔軟剤のにおいがした。

・楳図かずおが亡くなった。最後に見たのはアトレのカフェでぼんやりしている姿だった。変わりゆく吉祥寺において灯台のようだった人。彼がいるから「ああまだ同じ町なのね」と思うこともあったかもね。私は彼をよく見たけれど、彼は私を見たことがあったかな、見てくれたことがあったら嬉しいなと思う。

・この季節の、緑とオレンジと黄色が交じった葉の様子がすごく好き。

------

このような具合で以上にいたします。
『ヘテロゲニア リンギスティコ』は超おもしろく、以下から全話読めるのでぜひに!!

とねへ
その後「蛇口」の調子はいかがでしょう!
違う日々を過ごすゆえに伝わらないことも多いだろうけど、愚痴はいつだってどれだけでも、言ったり聞いたりしていこーネ。

若葉

いいなと思ったら応援しよう!