貴女が憎むもの。それが人生のテーマだよ。
こんにちは。橘 吉次(きちじ)です。
今回は「憎しみ」
人の憎悪の感情について、お話いたします。
愛と憎しみは同じもの
これは、マザー・テレサの有名な言葉です。
誰からも関心を持たれない人々の救済に、生涯をかけたマザー・テレサは、吉次が敬愛する宗教者の一人です。
愛の反対は無関心。
では、憎しみの反対は何なのでしょうか?
憎しみの反対も「無関心」であると、思います。
無関心なものに、憎しみは抱きません。
だって、関係ないから。
感情動かないし…。
<関心>が、日当たり良く水はけのよい土地で育てば愛情になるし、
ジメジメした陰気な土地で育てば、憎しみになる。
愛と憎しみの、根は同じ。
<関心>です。
この関心が自分のコントロール範囲を超えるほどの<強烈な関心>となる場合があります。
「愛憎入り混じる」という言葉がありますが
これは<取り扱い注意ラベル>を貼る必要がある
非常に厄介な激しい情のことですよね。
別名「執着」といいます。
執着を持つと苦しくなります。
そこから移動できなくなって、感情が居ついてしまいます。
子供や夫への、執着。
恋人への執着。
自分の夢への執着。
周りが見えなくなるほどの、強烈な関心
それに引き起こされる激しい感情
思慕と憎悪の嵐です。
だから、手放せと仏陀は教えます。
でも、簡単に手放せない
だから、執着なのですよねー。
執着することの恐ろしさ苦しさを知っている人は、<関心>をコントロールするようになります。
<関心>を無視すると言っても良い。
コントロールできるようになることを
大人になることだと思っている人もいる。
でもさ、コントロールすべきは<関心>ではなくて、感情のほうだ。
自分の関心は無視してはいけないのだ。
何故ならそれは人生のテーマだったりするから…。
憎むもの。それは最も求めるものだ
吉次が娘の時から、長らく憎んできたものをあげてみます。
・男女の性(というか男という性)
・宗教
・教師(人に教えを強要するもの)
・家族
・大衆(愚かなる一般人)
自分で列挙しながら、嫌になっちゃう…
これ、全部私の関心ごとなんですよ。
ずーっとグジャグジャ考えていること。
ずーっと、こだわっていること。
本当ならば、愛情や思慕に変換したい<関心>なんですよね。
これらを、愛に逆転させるために人生があるといっても過言ではない。
自分の憎しみを見つめる
最初から<愛>に育っている関心ならば、執着にならないように注意しながら愉しめばよい。
・私は日本に関心があって愛している
・私はファンタジー小説や映画に関心があって愛している
・私は〇〇さんに関心があって愛している
愛しちゃってください!
目を向けるべきは、ジメジメした土地で<憎しみ>に育ってしまっている関心だ。
できれば、見たくない
触れたくない
無視したい
だって憎んでいるんだよ
嫌悪しているんだよ
なんでわざわざ、向き合わなきゃならないのさ?
そうだよね。
よくわかるよ。
でもね…。
憎んでいること
それは、あなたの<関心>なんだよ。
憎んでいることが、関心があることの証拠なんだよ。
だから、それがあなたの求めているものなんだよ。
多分、とっても求めている。
無関心を装わずに、
一度自分の「憎しみ」を見つめてみようよ。
執着の恐ろしさを学んで
感情をコントロールする技術をマスターしたならば、
次は憎しみの関心を、愛の関心に変換していこうよ。
これができて初めて
「大人になりました」と言えるのじゃないでしょうかね?
50歳を過ぎて、きちじは憎んでいた宗教と向き合った。
そして今、神職をしている。
いっこクリアだな
こうやって、一個いっこ憎しみを愛に変換していくのだ!
道のりは遠いが、一緒に歩いて行こうよ
どう?
ご一緒にいかが?
ご興味があれば、覗いてみてください!
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橘 吉次講師「ストアカ講座」
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最後までお読みいただきありがとうございました。
では、さようなら