幼馴染彼女の愛を再確認する話
目覚まし時計がけたたましく鳴り響き、瞼を開かせる。
今日もどうやら雨。何日連続だろう。
梅雨は永遠に明けないんじゃないかと錯覚してしまう。
隣で眠る小さな背中を起こさぬように俺はベッドを降りる。
広くはないキッチンでトースターにパンを入れ、テレビをつけると、どうやらケーキ特集。
〇〇:あ、職場の近くじゃん。 久々にタルトでも食いたいなぁ...。
小さく独り言を言う。
和:...ぉはよう... 今何時...?
寝室のドアが開くのと同時に、低めの声が響く。
気をつけていたつもりだったが、どうやら起こしてしまったらしい。
〇〇:まだ6時半だよ。和は今日休みだし、まだ寝てた方がいいよ。
ちょっと強がってみる。
和:そぅ...する...。
彼女はまた眠りにつく。
俺は独り朝食を済まし、朝支度を整え、傘を持ち、家を出る。
〇〇:いってきます。
小声でそう呟く。
見送る背中も、返ってくる言葉もない。
いつからだっただろうか。
でも、それでいいんだ。
和とは所謂、幼馴染ってやつだと思う。
出会いがいつなのかは覚えていない。
お隣さんだったから、物心がついた頃には、一緒に遊んでいた。
鬼ごっこをしたり。ブランコしたり。
どっちが背が高いか張り合ったり。
小さい頃ってなんでか知らないけど、異様に背の高さに拘ったりする。
子供だからすぐに背は伸びるけど、常に俺の方が少し高かった。
小学校に上がっても和との付き合いは変わらなかった。
クラスは違ったけど、一緒に登校したり、一緒に帰ったり、一緒に遊んだり。
高学年になってくると、和はどんどん綺麗になった。
大きな瞳に、はっきりとした顔立ち。
クラスの男子で和のこと好きにならないやつなんて、いないんじゃないかと思うほど。
かく言う俺もその1人だった。
俺の中で和は、昔からの友達から初恋の人に変わったのだ。
それと同時に、和が自分から遠い存在になっていっている気がした。
頭脳明晰、容姿端麗、おまけに背もいつの間にか抜かされていた。
勉強も運動も顔も普通な俺は、もう背伸びをしても和には届かない、そんな気がした。
それでも和は今まで通りに登下校したりしてくれた。
約束した訳じゃない。ずっと一緒に登下校してたから今日もする。そんな感じだった。
それだけで嬉しかった。
でも段々、
「お前、井上と付き合ってんの〜?」
とか茶化されたり、
「なんでお前なんかが、井上と仲良いんだよ」
とか言われたりするようになった。
今考えると、思春期特有のあれだから、別にそんなに気にする必要なんかなかったと思う。
でも当時の俺には、羞恥心とか劣等感とかを植え付けるのには十分だった。
今でも鮮明に覚えてる。
雨が降る夕暮れの昇降口。
和:教室に折り畳み傘忘れてきちゃったから取ってくるね!
小走りで戻る君。
別にそこまでせっかちじゃない。
でも、他の友達が近づいてくるのを見て、1人で帰ったのは、
自分の弱さのせいだろうか。
その日から和と一緒に登下校することはなくなった。
中学校に上がった。
中学校では和と同じクラスになることはなかった。
話すこともなかった。
自分から話すなんてできるわけなかった。
和は高嶺の花になってしまったから。
そりゃそうだ。あんなに見た目は整ってるし、性格だっていい。
だから俺は、和を忘れようと努力した。
もう諦めるんだって。
でもたまに遠くに見える君の笑顔は、そんなことさせてくれなかった。
そんなある日、君が近くの頭の良い高校を目指すという話を風の噂で聞いた。
自分には到底超えられそうもない、高いハードルだった。
でも自分にとって選択肢はひとつだった。
別に、同じ高校に行けば付き合えるとか、自惚れてた訳ではない。
ほんの小さな期待を捨てた訳でもなかったけど。
自分は和に近づくことも、和から離れることもできない意気地なしだけど、
少しくらい自分に素直になろう
そう思った。
俺は和と同じ高校に進学した。
晴天の下、桜が舞う新学期の朝、俺は淡い期待を抱きながら学校へ向かった。
和とは同じクラスだった。
入学式が終わり、教室に着いた。
和とは席が遠いらしい。
新しい担任がいろいろと話を始めた。
なんて声をかけようか。担任が話している間ずっと考えていた。
でも答えなんて出そうになかった。
そんなこと考えている間に話は終わり、解散になった。
とりあえず家でまた考えよう。そう思い、席を立った、
??:ねぇ?
懐かしい低めの、ずっと聞きたかった声が聞こえた。
和:久しぶり。元気だった?
少し小さくなった彼女がそこには居た。
〇〇:久しぶり... なんか、ちっちゃくなった?
俺は少し笑って呟く。
和:そっちがでかくなったんじゃん。
彼女もまた笑う。
あぁ懐かしい。
いつぶりだろうか。
〇〇:あのさ...
和:何?
〇〇:あの時はごめん。ほんとに。なんにも言わずに先帰って。
和:まだ気にしてたんだ。
彼女はまた笑った。
〇〇:ほんのちょっとな。
俺は恥ずかしくなって言う。
和:ちょっとってなによ!?
彼女はふざけながら怒る。
和:それに私のこと井上って呼んでたっけ?
彼女の大きな瞳がこちらを見る。
〇〇:ちっちゃいこと気にすんなよ。
俺は目を逸らし、鞄を持って教室を出る。
和:え!? 気になるじゃん!
彼女もまた教室を出た。
桜の花がほとんど葉っぱに変わったある日。
長かった午前の授業も終わり、待ちくたびれた昼休み。
和:ねえ〇〇。
低めの声が聞こえる。
〇〇:どした? 井上。
心が躍るのを悟られないように答える。
和:あのさ...一緒に食堂...行かない?
自信なさそげに俯きながら彼女は言う。
内心ガッツポーズを決めながらも、
〇〇:いいじゃん。行こうぜ?
と、クールに言った...
つもりだ。
すると
和:やった! 断られると思ってたから...。
和:早く行こう?
なんて純粋に喜ぶ君に、調子を狂わされる。
〇〇:言っとくけど、奢らないからな。
そうやって悪戯に笑うと、
和:そんなに傲慢じゃないし!
なんて、頬を膨らましながら答えた。
俺たちはまた元の関係に戻ることができた。
一緒に登校したり、部活がない日は一緒に帰ったり。
君と過ごすうちにまた気付かされる。
君のことが好きだって。
でも太陽みたいな君に俺なんかは似合わない。
だからこの気持ちは、心にしまっておこうと思う。
君とは幼馴染のままでいたい、そう思うようにした。
夏の気配が近づき、紫陽花が咲き始めたある日。
担任のいつもの長話が終わったのを合図に、俺と君は家路に着く。
世間話をしながら、この時期にしては珍しい五月晴れのいつもの道を、2人で歩く。
〇〇:なぁ... 井上って恋人とかいんの?
和:急だね? どうしたの?
彼女は笑って答える。
〇〇:いや... 単純に気になって。
和:...恋人はいないかな。何回か告白してもらったことはあるんだけど、全部断った。
やっぱモテるよなぁ...。
自分の知らない間にそんなことがあったのかと知ると、わかってはいたけど、意外と心にくる。
〇〇:...なんで断ったの?
和:私、ずっと好きな人がいるんだ。ちっちゃい頃から、ずっと。一時期疎遠になっちゃってたけどね。
君は少し俯いて笑いながら答えた。
あぁ、そうか。
やっぱり自分は意気地なしだ。
こうやって君に言わせてしまうほど、意気地なしな男だった。
和:...ねぇ... なんか言ってよ...。
大きい瞳がこちらを見つめる。
〇〇:和... 俺、勝手に自分じゃ届かないって諦めてた。友達のままでいいって思い込むようにしてた。
〇〇:でもやっぱり、俺...和のことが... 好きだ。
こんな意気地なしの俺で良ければ、付き合って欲しい...。
和:遅いよ... ばか...。
季節外れの青空が、ひとつになった影を祝福した。
俺と和の長い恋は成就した。
初デートは心臓が鳴り止まなかった。
初めて手を繋いだ時は、手汗が止まらなかった。
夏には花火大会に行ったし、クリスマスには一緒にイルミネーションを見た。
他にもたくさんデートをした。
受験生になると、デートの頻度は減ったけど、和がいるから乗り越えられた。
俺たちは、違う大学に進学した。
けれど、それを機に同棲を始めたし。
同棲の報告に行くと、和の両親は喜んでくれた。
お互い不器用だけど、愛を伝え合った。
だけどやっぱり、恋愛には慣れがつきもの。
スキンシップはいつからか減った。
出かける時の口付けも無くなった。
愛の言葉も聞こえなくなった。
お互いに就職したし、休みはなかなか合わなくなった。
もちろん、たまにデートはする。
もちろん、手は繋ぐ。
だけど、心臓は静かになったし、
手も乾いたままだ。
わかっていた。いつかそうなるって。
それでもいいと思っていた。
一緒にいるだけでいいんだって。
思っていたつもりだった。
雨が降りしきる中、俺は会社を目指す。
晴れていても憂鬱な仕事は、雨が降っているとその加減をより一層強くさせる。
でも案外すぐに昼休憩はやってくる。
学生の頃は昼までもっと長かった印象があったけど。
それは思い違いか、はたまた本当に短くなってるのか。
なんてくだらないことを考えながら、会社近くの蕎麦屋に向かうと、
??:ま、〇〇さんですかっ?
ちょっと懐かしい声が耳に入る。
〇〇:...菅原...?
そこには大学時代の後輩の小さな姿が。
菅原:あ! 覚えててくれたんですね! うれしいです!
まだ大学を卒業して2年しか経ってないんだから、忘れてる方がやばいだろ。
とか思いながら。
〇〇:...そんなに時間経ってねえだろ。
ちょっとオブラートに包んで言ってみる。
菅原:うれしいもんはうれしいんです!
こいつの真っ直ぐさには調子が狂う。
菅原:っていうか、〇〇さんもこの辺で働いてたんですね!
〇〇:まぁな。ってか立ち話もなんだし、飯食ってこうぜ。俺が奢るよ。
なんて、らしくないことを言ってみる。
まあ、腐っても先輩だし、ちょっとくらい良いだろう。
菅原:さっすが〇〇さん! 太っ腹!! 天才!!
こいつの後輩力の高さに驚きながらも
〇〇:どうも〜。
なんて流して店に入る。
短い時間だったけど、人と笑ってご飯を食べたのは久しぶりだった気がする。
雨のせいで憂鬱な気分も、多少晴れそうだ。
菅原:ごちそうさまでした!
今日の天気とは不釣り合いな笑顔を見せる。
〇〇:いいえ〜。
菅原:あの〜 〇〇さん! もし良かったら、今度から一緒にお昼食べませんか?
期待でいっぱいの純粋な眼差しを向けられる。
一瞬言葉が詰まる。
これっていいのか
いや、やましい気持ちがある訳じゃないし
なんて思考が一瞬の内に堂々巡りするばかり。
でもそんな期待した顔されたら断りにくい。
まぁ、昼飯くらいならいいか。
と、自分に言い聞かせ、
〇〇:奢りはなしだからな?
と言った。
菅原:やった! これでお昼が楽しみになります! ではまた明日!
純粋に喜ぶ姿に、どこか懐かしさを重ねながら。
ってか奢りじゃなくていいんだ。
と、ふと思う。
でも深く考えずにその日は職場に戻った。
〇〇:...ただいま。
残業を終え、傘の水を払って家に入る。
返事はない。
ベッドでは見慣れた小さな背中が寝息を立てている。
俺はスーパーで買った、半額の弁当を食べ、シャワーを浴びてすぐに床に就いた。
俺は無言で、小さな背中に背を向けて寝た。
五月蝿い雨音で目が覚める。
今日も雨。しかも雨足は昨日よりも激しそうだ。
目覚まし時計より10分ほど早めに起床したらしい。
〇〇:和、今日は仕事だから早めに起きちゃいなね。
横で眠る小さい背中に一声。
和:そぅ...する...。
和は自分より1時間ほど家を出る時間が遅いのだが、朝には弱いタイプなのでいつも心配になる。
自分と彼女の分の朝食を作り、朝支度を済ませて家を出る。
〇〇:いってきます。
返事はなし。
何の問題もない。
いつも通りの朝だ。
昼休み、蕎麦屋の前に行くと傘をさした小さい影が。
菅原:あ! 〇〇さん! こっちです!
笑顔で手招きをする彼女に
〇〇:わかってるよ〜。
ちょっと楽しみだったのを悟られないように、冷静に言いながら店に入る。
人って笑って喋るだけでも、意外と疲れが取れるもんだなと実感する。
菅原:ごちそうさまでした!
奢ってないけど満面の笑みで菅原は言う。
菅原には悪いけど、そんなに裕福な方ではないので許してほしい。
〇〇:じゃあまた明日。
会社に戻ろうとすると突然腕を掴まれる。
菅原:あ、あの! 〇〇さん! 今度の日曜日、近くのケーキ屋さん行きませんか...? テ、テレビでやってるの見て...。 どうかなぁ〜って...。
今までの菅原とは裏腹に、自信なさそげに俯きながら言う。
そういう顔するのはやめて欲しい。
断れないではないか。
でもいいのか。
和を裏切ってはいないか。
まあ、ただの後輩だし。
しかも、ちょうど気になっていたお店だし。
変な風に勘繰るのも、菅原に悪い気がするし。
和とも最近出かけてないし、たまの息抜きくらいいいか、と思い
〇〇:奢りはしねぇからな。
って答えていた。
菅原と別れた後、また憂鬱ないつもの仕事に戻る。
幸い、今日はちょっと早く終わりそう。
いつもよりだいぶ早めに仕事が終わって、時刻はまだ20時前。
流行り病で夜の行動が減った街でも、まだまだ活気に溢れる時間帯。
土砂降りだった雨は止み、おぼろ月がこちらを覗いていた。
そういえば、ケーキ屋の雰囲気ってどんなもんなんだろう。
と、ふと疑問に思う。
おしゃれすぎると、男が入るにはちょっと勇気がいるし。
まだ時間早いし、少し雰囲気だけでも見て帰ろうかな。
いつもは家に直帰するが、不思議と店の雰囲気が気になって、久しぶりの寄り道。
ここか。
仕事でくたびれたサラリーマンとは無縁な外観で、ちょっとセレブな奥様とかがお茶でもしてそうな感じ。
ちょっとハードル高いかもな...。
なんて思いながら、ふと店の中を一瞥すると、
見慣れた小さい後ろ姿。
〇〇:和...?
なんで君がここにいるんだろう。
君の職場は全然方向違うのに。
なんて考えている内に、君は店から出てくる。
和:あっ... 〇〇。
ばつが悪そうに君は言う。
和:今日、早かったんだ...。
〇〇:うん...。仕事、早めに片付いて。
ちょっとぎこちなく答える。
〇〇:それより... なんでここに?
和:この前の朝さ... ここのタルト食べたいって言ってた気がしたから...。
彼女はちょっと下を向きながら答える。
ああ、聞いてたんだ。
和:最近、全然お話もできてなかったし...。記念日までもう少しだから...。なんか気持ち伝えたくて...。
夜なのに、君の顔がちょっと赤に染まる。
和:...本当はサプライズで渡したかったんだけどね! でも、バレちゃった。
君は恥ずかしそうに笑う。
ああ、なんて自分は愚かなんだ。
こんなにも愛してくれているじゃないか。
自分が気づいてなかっただけじゃないか。
なのに、君のせいにして、言い訳していた。
〇〇:和...。
俺は瞳から溢れそうな気持ちを抑えながら、
人目も憚らず彼女を抱きしめた。
和:!!
和:...〇〇?//
和:ど、どうしたの?//
和:みんな... 見てるよ?//
君の鼓動が早まるのを感じる。
〇〇:和... ごめん。
和:なんで〇〇が謝るの?
優しく君が語りかける。
〇〇:俺... 和からの愛が少ないって、勝手に勘違いして...。それを言い訳にして、後輩と出かけようとしてた。
〇〇:こんなに思ってくれてたのに...。
和:〇〇は...悪くないよ。私があんまり気持ちを伝えられなかったからだよ。
和:私こそ... 本当にごめんね。
君は優しすぎるな、なんて思いながら、
俺は君の大きな瞳を見つめる。
〇〇:もし和が良ければ... もう一回やり直させて欲しい...。我儘言ってるのはわかってる...けど。
和:やり直すって。別に一回別れた訳じゃないじゃん。
君は微笑んで冗談めかしく言う。
俺も釣られて笑みが溢れる。
やっぱり君には敵わないな。
和:帰ろ? 冷めちゃわない内に。
〇〇:タルトだから元々冷めてるけどね?
悪戯っぽく笑って、揶揄ってみる。
和:あ! 揚げ足取るんだ〜。モテないよ?
笑い合いながら家路につく。
菅原にもちゃんと謝って、断っておかないと。
和:ねえ〇〇。
小さい君が肩を叩く。
和:見て! 満月! きれいだね?
いつの間にか、雲は晴れていたらしい。
〇〇:そうだな。
満月に照らされて、いつもよりちょっと明るい帰り道を、2人の家に向かって、大きい影と小さい影が繋がりながら歩く。
傘を傘立てにしまって、隣の君に声をかける。
〇〇:ただいま。
和:おかえり!
隣で君が笑った。
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