わたしの目にうつる世界 四
小学生だった私に、父は瞑想を学ばせた。
友達の家に遊びに行き、遊んでいると、友達の家の電話に父から電話がきた。
「瞑想の先生が来てるから、帰って来なさい」
なぜ、私は楽しく友達と遊んでいたいのに…と思いながらも、口にはせずに、嫌だ嫌だ…なんでなんで…と心の中で思いながらも、自転車をこぎ帰るのだ。
言えずにいた その気持ちが
思い通りにいかない という気持ち
強制的にさせられている というような気持ちが ずっと残っていたようだ。
瞑想 は、
なぜ、じっと座っていなければならないのか
疑問に感じながら(それはきっと反発心からのもの と今はおもう)
しかし、毎日ではなくても していた。
30代中頃になり あらためて、瞑想を学ぶ機会があり そして、今も
瞑想の時間。
座ること
呼吸をすること
つながりあえること
今、私は その時間を 私に与えてあげられること 嬉しく思う。
父は、これまで、私が瞑想をしていない期間も、毎日、瞑想をする時間をとっている。
私が小学生の頃とは、今から30年以上前のこと。
わたしは、やっぱり、ここ と
親を選び、産まれてきたのだと思う。
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