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志村けんさん=家族との思い出
頭を突然殴られたうようにびっくりし
愕然とした・・・
思わずiPhoneを落としそうになる
涙がこみ上げてきた
訳が分からなくなった・・・
そのあと仕事をしたが、何をしたか覚えていない
今朝になってやっと現実と向き合うことができるようになった
そして
「志村けんさんの死がなんでこんなに悲しいのか?」を自分で考察してみた。
その結果
「志村けんさんの死は家族との思い出が消えてしまったような喪失感を私にもたらした。」
という結論に達した。
ちなみに「志村けんさんに会ったことはない」
だが
志村けんさんは私にとって「家族との思い出そのものなんだ」
小学校1年生の頃の土曜日の20時父が仕事から帰宅し、母がカレーライスを作り
父の帰宅を待って家族四人で食卓を囲む。
もちろんテレビでは「8時だよ全員集合」がかかっている
(もちろんブラウン管テレビだ)
皆笑ってテレビを見ている。弟は志村けんさんの(この頃は志村志村と呼び捨てにしていた)モノマネを一生懸命している
家族はそれを見て大爆笑だ!
そんな土曜日が当たり前だった
楽しかった子供の頃の思い出だ・・・
もう一つのの思い出は
小学校4年生の頃
私は「マイコプラズマ肺炎」という厄介な病で10日以上学校を休んでいた。
昼間はそこそこ元気だが、夕方になると38度くらいの発熱を繰り返していて
私の体力は限界だった。よく自宅静養で済んでいたものだ。
今なら絶対入院だと思う・・・
そんな時
弟がその頃流行っていた志村さんの「だ〜いじょ〜ぶだ〜」をあの独特の太鼓を使ってやってくれたことをよく覚えている。
私は「大丈夫じゃね〜よ!!!」と普通に思っていた。
「志村けんさんの死」は私の家族との思い出を運び去ってしまった・・・ような気がして、私はとても悲しくなったのだ
本当にそうなのかは現状の私の頭ではここまでだ・・・
さあ
しばらくは喪にふすこととしよう