着ぐるみ怖い
まるで落語のようなタイトル。
だがしかし、これは決して、好きの裏返しではない。
マジで無理。
小さな子供が着ぐるみを怖がる心理はわかる。
大きい、得体が知れない、喋らない、笑わない。
こんなもの、子供からしたら怖いに決まってる。
怖がってる子供に(怖くないよ)と言わんばかりに、身をかがめて近づく着ぐるみがいるが、そんなものはただの追い打ちである。
大人になれば、身体も大きくなり慣れもあり、怖くなくなる人が多いとされるが、私の場合はいつまで経っても怖い。
とはいえ、いい年齢ではあるので、着ぐるみを目の前にして泣き叫ぶわけではないし、子供のころよりは多少軽減されている気はしている。
それでも、進行方向に着ぐるみがいたら、ルートを変更するくらいには怖がっている。
着ぐるみが苦手な理由は、主に以下だと思う。
・まぁまぁ大きい
・ポップに近づいてくる
・無機質
・表情がないのに目が合う感覚がある
・好かれている自信を持っている
そういえば私は、大きいものも苦手だ。
ビルや電波塔などの建造物は大丈夫だが、仏像やヒーローなどのモニュメント的な大きいものはダメだが、こちらも、遠目であれば平気。
路上で着ぐるみを見ると、不安な気持ちになる。
もうそれ以上のことはわからない。とにかく不安になる。
大きいものもそうだ。
胸の奥のほうからゾワゾワしてきて仕方ない。
恐らく、顔も引きつっていることだろう。
「着ぐるみ恐怖症」という言葉がヒットする。
読んで字のごとくなので、嚙み砕く必要もない。
幼少期に着ぐるみに泣かされたのか否か、そんな記憶はないし、親からもその類の話は聞いたことはない。
しかし、ウサギの着ぐるみの横で、顔を引きつらせてピースしている幼い私がいる写真が存在している。それがすべてだ。
これの克服方法として「自分が着ぐるみに入る」というのがあった。
なぜそれで克服できるのか、理屈がわからない。
着ぐるみの中身が人間であることくらい理解している。
どちらかといえば、どんな人間が着ぐるみを着て、あのテンションで仕事しているのかを考えるほうが怖い。
というか、苦手なものを克服する意味とはなんだろうか。
日常生活にマイナスな影響があるのであれば、克服するメリットは大きいかもしれないが、私はただ着ぐるみが怖いだけであって、日常生活には何の影響もない。
一つや二つ、怖いものや苦手なものがあったほうが、好きなものとの乖離が生まれて、好きなものを一層大切にできると考えているので、苦手なものはそのままにするのも全然有り。
エンタメの宝庫とも呼べる、遊園地やテーマパークは大好きだ。
そこにいる多くのキャラクターたちは、本当に素晴らしいと思う。
ステージ上にいるのも、路上でファンサしているのも、世界観にしっかり溶け込んでいる。
音楽に合わせてステージで踊り、パフォーマンスをしている着ぐるみを観るのは好きだ。あれも歴としたエンターテインメントだから。
あれほどのクオリティや多幸感を与える存在は、さすがにアーティスト、あるいはアイドル、の認識をしている。
ただし、楽しむためには一定の距離が必要である。
なぜなら見た目は着ぐるみだから。
私が着ぐるみが怖いことと、エンタメへのリスペクトは別だ。
遠目からなら大丈夫なわけだし、無理に近くで鑑賞する理由もない。
そうだ。これは、好きなものとの適切な距離感なのだ。
この距離感を見誤らないためにも、私は「着ぐるみ恐怖症」を克服せずにいる必要がある。
克服する理由がない。むしろ、抱えておくだけの理由がある。
なんて良い気づきだ。素晴らしい。
「着ぐるみ怖い」をお題にしてみるもんだ。
私を怖がらせたいがために、着ぐるみのいるテーマパークに誰か連れてってはくれないだろうか。
そしたら、たくさん怖がってあげるのにな。