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とりあえず1961(昭和36)年の権藤博登板間隔は網羅

▼あたりまえだが、現代とは起用法が全然違う

 権藤博(中日)1年目の1961(昭和36)年シーズンの登板間隔の記録については、遡ること9月の中旬頃だったと思うが、残っていた9月~10月の調査、集計を済ませていた。

 ただ、まだ検算が終わっておらず。パーッと確認したところ、試合数と投球回数が実際の記録と若干数字がズレているようなので、確認しなくてはならないのだが……。

 それを後回しにして、現状の要修正の内訳表も公開しておこうと思う。

【1961(昭和36)年 権藤博(中日)の成績】
69試合、44先発、32完投、12完封、35勝19敗、投球回429回1/3

【↓↓↓登板内訳】

1961(昭和36)年 権藤博(中日)の登板間隔記録表

 どうだい? わけがわからんだろうwww?
 ふん、まあいい。今はそれでいい。
 いずれ、もっとわかりやすい形に整理してみせよう。

 とにかく、この年の登板記録をみて、現代のNPBの投手起用事情とは大きく違うということを(わかっていたつもりでいたが)改めて痛感した。

・日曜日は大抵はダブルヘッダーとなる。
・当然のことながら投手分業制ではない。
・そのため、先発投手が序盤で不調だと、最初の打席で代打が出されたり、下手をすると初回のイニング途中でも結構高い確率で投手が交代することがあり得る。
・その場合、降板した投手は中1~2日、場合によっては連投などにより早期に登板機会が与えられることもセットとして多かった印象。
・調子のいい投手は、権藤以外でもローテーションを短縮して先発したり、頻繁にリリーフもあるなど、優先して起用される傾向にある。
・年間を通して、1軍で登板する投手は10名くらい(少ない!!)。

といったところだろうか。

これらは、今後、権藤だけでなく、セ・パ両リーグの投手全員を前後数年にわたり調べていくことで、事実関係を照合していこうと思う。

▼今後の展開

 次のステップとしては、まず、翌1962(昭和37)年の権藤博の登板間隔について、引き続き調査していく予定。

 権藤は1962年においても大車輪の登板を完遂しており、1961年に比べると若干勢いが落ちている気配もするとはいえ、この2年間が成績的に全盛期だったといえるからだ。

 そのうえで、権藤博の登板の中に、「権藤、権藤、雨、権藤……」のフレーズにもっとも近いものを確定させたいと思う。

 それが、昭和30年代投手たちが築いた驚愕のローテーションを示す柱的な比喩になるはず。まだまだ先は長いが、調査は続いていく。

 そして、直近の次回以降は、調査が済んだ1961年の登板間隔について、詳細に分析した見解を少しずつ書いていこう。

 いつのことになるやらだが、とにかく、乞うご期待!
 首を長くして待っていてほしい。

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キビタキビオ
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