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神社の外来性
蝦夷を祖先に持つ私には、神社というのは他所から移植された信仰空間にしか思えない。
鎮守の森は、この土地では育たない照葉樹林の(杉による)模倣であり、神前に備える米や榊、餅などの神饌もまた、南方から持ち込まれたものばかり。
それらがやってきた時期は、坂上田村麻呂の遠征以後だろうか。
そういえば本邦では、神社の「神霊」を分けて新たに作られた神社等の場所へ移す、「勧請」という行為(儀式)が行われており、分霊が祀られた場所を「分社」というのだった。
(嘗ての日本海軍が建造した艦にそれぞれ「○○(艦名)神社」を設えたのもその類なのだろう。)
と、ここまで思い返して気になったのだけど、もともと本邦の神霊は、自然界にある巨樹や地形等の事物が周囲との縁を結び、長い時を経るうちに霊性を備えたものだとされていたはず。
則ち、神霊はその土地と不可分に結び付いていた。
然るに、勧請により分社に置かれた分霊は、発生後すぐに本社と同じ霊験を発揮するということだが、これは元来の神霊信仰からするとインスタントで掟破りな考え方ではないのだろうか。
ここに、縄文から続いていた本邦のアニミズムに対する、神社の外来性が現れているような気がした。
(2023.9.3)