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刈田岳奇譚

その日私は、中央蔵王の稜線を標高1,758㍍の刈田岳に向かって歩いていた。

晴天の日なら多くの観光客が軽装で歩いている場所だが、すっかり濃い霧に覆われて足元しか見えないこんなときに、レストハウスを出て長時間、外の冷たい風を浴びようと思う物見遊山の客がいるわけはない。

霧のなか、火山岩がごろごろしている登山道を、遭難防止のため立てられている木の柱を辿って歩く。
日暮れが近付いており、乳白色の霧に青い影が忍び寄る頃、その日の泊まりに利用しようとしていた刈田岳避難小屋に着いた。

この小屋は火山弾を受けても破壊されないように、コンクリートの外壁に大きい石を埋め込んだ三角形の屋根のようなものであり、小屋というよりは要塞のトーチカだろうというような武骨な建造物だ。

その中は窓が少なく暗く、しょっちゅう雲に包まれているために湿っていて、臭い。
土間の奥には腰をかける高さに板張りの床があり、そこへ荷を降ろして炊事道具や寝具を取り出す。

食事が終わり、周囲が闇に包まれたあと、明かりを消して寝ようとしたが、妙に寝付けない。
一日中合羽を着て霧のなかを歩いてきたので疲れていない訳はないけど、身体の疲労とは別に頭が空回りをしていて眠れないのだ。

それでも何とかうとうとし始めたとき、私の身体感覚に異変が起きた。
簡易なマットを敷いて寝袋に入り、硬い木の床へ仰向けに横たわっているはずなのに、突然、両膝が曲がって土間に足が付いた感触に襲われたのだ。
慌てて寝袋から手を出し、ライトを探しあてて点灯したものの、周囲の様子には何も変わったところはない。

これは入眠時の幻覚だったかなと思い、再び眠りに入ろうとした後。

どれだけ時間が経過したかは分からない。

こんどは静かに床の縁に腰掛けており、不分明な明かりに照らされている自分を感じた。
そして、私の両脇には男の子がいる。
二人とも中学生くらいの背丈だ。白い覆いのついた学帽をかぶり、半袖の白いワイシャツ、黒い学生ズボンといった服装をしている。頭はいわゆるスポーツ刈りにしていたと思う。

私は彼らと何を話すでもなく、同じく静かに腰掛けているうちに、やがて本当の眠りに落ちたようだった。

不思議な明晰夢だったなと思い、しばらくそのことは忘れていたけど、あるとき、蔵王山に関する記録を参照していて驚いた。

大正7年10月27日、仙台二中(旧制)の生徒たち151人と教諭4人が蔵王に登山し、山頂近くで不意の大吹雪に遭遇して生徒7人、教諭2人が亡くなったという事故があったのだ。

私が刈田避難小屋で感じた子らは、おそらくこの事故で亡くなった生徒と同じぐらいの年頃。さては、地縛された霊が現世に現れたのか。
夢や幻覚を見ていたのだとしても、何故この場所で、しかも初めて見たような子供の姿が視えたのか、合理的な説明などありはしない。

でも私は、彼らを幻視したときに怖れや不安は何も感じなかった。
もう既に現世の絆から解き放たれて、山岳の一部であるというような存在になっていたのかもしれない。
家路につくこと無く山霊になった子らの魂に冥福あれ。

(暑さ寒さ、ひもじさや辛さを感じることなく、山の美しい景観や日が昇り沈む様子をいつでも見たいときに見られるというのなら、ちょっと羨ましいような気もする。)

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