邯鄲の枕・黄粱の夢
「枕中記」で語られた「邯鄲の枕」とは一般に、人間の栄枯盛衰は儚く仮初めのものに過ぎない、と窘めるために見せられた夢だということになっているようだ。
しかし、どうして夢のなかの人生は取るに足りないものであり、現実もまた同じだと言い切れるのか。
芥川はこのテーマで「黄粱夢」という掌編を書いており、そこでは夢と現実は等しく価値があるものだ、という立場を取っている。または、夢が力を与えたがゆえに、現実でも力強く生きたいと願った、と。
光と影がただ交代するだけでは、世界は構造を産み出せない。夢と現実が繰り返されるだけでは、人は前へと足を踏み出せない。
そこに生命の泉から湧き出す力が加わり、夢が現実の背中を叩かなければ。
(2023.8.14)