自由と公平を阻む女
気温がどんどん上がる初夏の昼下がり、午睡の木陰は涼やかで、若葉が微風にそよぐ。
Wikiでステンカ・ラージンの記事を開いたタブレットから、1938年に録音したという歌い手の音声が、ぷつぷつというレコードのノイズを乗せて流れる。
「Волга, Волга, мать родная,
Волга, русская река‥‥」
ドン・コサックの自由と公平を阻む者としてボルガ河に投げ入れられた娘さんがお気の毒;
彼女の自由と、処女を奪った(たぶん)者との愛を育む権利はどうなんだ(きっと何も無い)!
北米原住民にあったポトラッチの風習のことなどを鑑みても、過剰な財産(物も人も)というのは不運と嫉妬を招き、所有者にとって重荷にしかならない(から、手放すか分与する)という考えがあるんだろうな。
富の集中が賞賛に値すると思われるには、また別の価値観が登場するのを待つしかないとか。
‥‥牧歌的な昼下がりが生臭い午後になってしまった;
東洋では、勝利と権力を手にするとすぐ蓄財に走り、それが当たり前になっているから、何かが根本的に違う気がする。
「長恨歌」みたいに、兵らの要求に屈して愛妃の首を刎ねたという話はあるな。
でもその後で諦めきれずに反魂の秘術に頼ったりしてるのは、人間臭いって言えばそうだ。
一方、本邦のサルはどうかというと、交尾期に意中のカップルが群れを離れて愛の逃避行に走ることがあるのであった。いやいや、これは別の話。
(2023.5.27)