「谿声山色」を読む(3)

【仏の道:遠望・近見】 (136)


「谿声山色」を読む(3)



   この居士の悟道せし夜は、そのさきの日、
   総禅師と無情説法話を参問せしなり。


この居士が悟道した夜は、その先日に、常総禅師と無情説法話(情の無い木石が法を説く話)について問答を交わしていたのです。

   禅師の言下に翻身の儀いまだしといへども、
   谿声のきこゆるところは、逆水の波浪たかく天をうつものなり。


居士は、禅師の言葉の下では、まだ自身を翻す悟りはありませんでしたが、昨夜の谿声に聞こえたものは、逆巻く波が高く天を打つ響きでした。

   しかあれば、いま谿声の居士をおどろかす、
   谿声なりとやせん、照覚の流瀉なりとやせん。


それならば、今 谿声が居士を驚かした理由は、谿声にあるのでしょうか、それとも照覚禅師の説法にあるのでしょうか。

   うたがふらくは照覚の無情説法話、
   ひびきいまだやまず、ひそかに谿流のよるの声にみだれいる。


私が疑うのは、照覚禅師の無情説法話の響きが未だ止まずに、ひそかに渓流の夜の声に入り乱れて聞こえたのではないかということです。

   たれかこれ一升なりと辨肯せん、
   一海なりと朝宗せん。


無情説法話を、誰が一升の水と弁えるものでしょうか、誰が一つの海と認めるものでしょうか。

   畢竟じていはく、
   居士の悟道するか、山水の悟道するか。
   たれの明眼あらんか、長舌相、清浄身を
   急著眼せざらん。


結局のところ、居士が悟道したのでしょうか、それとも山水が悟道したのでしょうか。誰か道理に明るい人があれば、山水の中に、仏の説法や仏の清浄身をすぐに見出だすことでしょう。

          「無情説法話」

   因みに僧問う、「無情また説法を解すや否や」。
   国師曰く、「常説熾然、説くに間歇無し。」


僧が大証国師に尋ねました、「情の無い木や石は、仏の説法を理解できるでしょうか。」
国師は答えて、「情の無い木や石は、常に燃え盛るように法を説いて絶えることがない。」

   僧曰く、「某甲甚麼としてか聞かざる。」
   国師曰く、「汝自ら聞かず、他の聞く者を妨ぐべからず。」


僧が言うには、「私には、何故それが聞こえないのでしょうか。」
国師は答えて、「おまえ自身が聞かないだけで、他の人には聞こえている。」

   僧曰く、「未審、什麼人か聞くことを得る。」
   国師曰く、「諸聖聞くことを得る。」

僧が言うには、「それでは、どんな人が聞いているのでしょうか。」
国師は答えて、「聖人たちが、聞いている。」

   僧曰く、「和尚また聞くや否や。」
   国師曰く、「我れ聞かず。」


僧が言うには、「和尚は聞いていますか。」
国師は答えて、「私は聞かない。」

   僧曰く、
   「和尚既に聞かず、争んぞ無情の説法を解するを知らんや。」
   国師曰く、
   「頼ひに我れ聞かず、我れ若し聞かば則ち諸聖に斉し、
    汝即ち我が説法を聞かざらん。」

僧が言うには、「和尚が聞かないのなら、どうして情の無いものの説法が分かるのですか。」
国師は答えて、「私が聞かないことは、おまえには幸いである。私がもし聞けば聖人たちと等しくなり、おまえは私の説法を聞くことが出来ない。」

   僧曰く、「恁麼ならば則ち衆生 分無きなり。」
   国師曰く、「我は衆生の為に説く、諸聖の為に説かず。」


僧が言うには、「それならば、凡夫にはそれを聞く分が無いことになります。」
国師は答えて、「私は凡夫のために説くのであり、聖人たちのためには説かない。」

   僧曰く、「衆生聞きて後 如何。」
   国師曰く、「即ち衆生に非ず。」


僧が言うには、「凡夫が聞けばどうなりますか。」
国師は答えて、「それはもう凡夫ではない。」

【注】
仏印禅師了元和尚
: 饒州の人(1032~1098)。洪州雲居山に住す。
         仏印は謐号。 
搭す:掛ける。
無価: 評価ができない程高価なこと。   
玉帚: 玉を飾りつけた帚(ほうき)。 貴族が抱(絹の衣裳)を留めた
   飾り帚(ほうき)。革製で、金具に宝石をちりばめて飾りとした。  
儀: 行儀、作法、先例、儀式。 
因縁: 因縁話、説話。   
晩流: 遅れて仏教を学ぶ人々。  
潤益: 潤はうるおい。益は利益。
現身説法: 仏自身が姿を現わして行う説法。   
化儀: 教化の儀式。 
懈倦: 懈はおこたる、なまける、気持がゆるむ。倦はうむ。
存没: あったりなかったりすること。

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