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占い わたし これから②

さて①の続きです。
前回までのお話は、20代の頃の身近な「占い」に出会ったところ。
この時はまだ、占いの教室などあまり興味もなく過ごしていた時期でした。
当時流行っていたのは、ananの占い特集とかね。
雑誌の占いはよく読んでしまたね。
あとは、六星占術の大御所、細木数子先生の本とか読んでましたね。
これが本当によく当たるんですね。
あまりにものめり込み過ぎると、占い中心の生活になるんじゃないかって
怖くなって見るのを止めたくらいです。

他にも動物占いとか、血液型占いとか、姓名判断とかその時々で
占いにも流行があるんですよね。
なんとなく当事は、遊び半分的な雰囲気もあって真剣にのめり込む人のことは
また別次元的なものを感じていました。
きっと私には
それほど思い悩む事がなかったというか、何かに頼る必要がない
ある意味、自分で解決できる自負もありました。

しかし私の人生はそんなに簡単ではなかった。
仕事だったり、友人関係だったり、
人間関係が一筋縄では行かない時期に突入していくのです。
この世の中の大半の悩みは人間関係と言っても言い過ぎではない。
とにかく人生のバイオリズムなのかどうかはわからないが、
何をやってもうまく行かない時期をどう乗り越えたらいいのか、長いトンネルに入ってもがき苦しむ時間の長いこと。

友人とのランチの時のこと。
この時初めて、友人の勧めで占い師さんの初対面鑑定を経験したのです。
これも偶然が重なったような出来事で、この占いの先生は、表立ってインターネットで検索できるわけもなく、HPがあるわけもなく、口コミでの紹介がメインのような感じの先生なんだけれども、数ヶ月先まで予約が取れないほどの方。
すぐには無理でも、一度見てもらいたい。
その時の私は藁をもつかむ思いで電話をかけたら案の定、数ヶ月先の予約しか取れず、まあ仕方ないか。と友人に愚痴を聞いてもらっていたその数分後、
私の携帯が鳴ったのです。
「先ほど予約入れてくれた きびこさん? あなた、今から来れる?」
場所はここから近い。
「はい!すぐ行けます」
なんでも、予約していた方が急な熱で具合が悪く行けなくなったので、ひと枠空いたそうなんです。こんな事滅多にないのよ。と先生。
私は友人に感謝して、先生の元へ走ったのでした。

この方は、視える先生らしく的確、良心的、サバ系
とでも言いましょうか。
「すごい人が来るわって思ってたの。そうあなたなの…」
と第一声。
当時の私はズダボロだったので、何か体に憑いていたのかしらん。
確かに、家には何か居ました。黒いものというか。
見えないんですけど感じるというか。何かあったんでしょうね。
別に除霊の儀式とかしたわけじゃないんですけど
鑑定後、別れ際に「あなたはもう、私のところに来ることはないでしょう」
って言われて、あれから10年近くなりますが、それから一度も足を運ぶことはなく、今では先生の居場所もわからなくなり、電話も通じなくなって。
先生はいったいどこへ行かれたのか。
振り返れば、そこがターニングポイントだったのかもしれない。
抜け出すきっかけ。

占いの概念が変わった瞬間とでも言いましょうか。
当たるか外れるか なんてのはどうでもいい事。
人の人生なんてわかるはずがないのですが、それは物理的な問題。
でも、昔から日本は目に見えないものを文化として、
その「見えないもの」と共存しているのではないだろうか。

私は昔から民話や古い話が好きで、祖母や母や叔母達からいろんな話を聞いた。
幽霊こそ見えないが、不思議体験は多いのだ。
それと、占いがリンクしたというか。
それまで占いは全く別の次元の話と捉えていた節があった。
言葉では伝えにくいのだけれども。
古代日本からの呪術と現代の占いがリンクしたといった方がいいのか。

今度はそこから、占い探求が始まるのです。

それではまた次回へ



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